2018年 全日本学生拳法選手権大会観戦記

2018年11月V.1.3   2018年12月26日V.1.9

故きを温ねて新しきを知る

 「故きを温ねて新しきを知る」と言いますが、今回は逆で、最新の日本拳法を見に行ったところ、40年前の私が知っている古き(良き)日本拳法を思い出し、更には400年前に宮本武蔵が提唱した戦いの思想に思いを馳せることができました。

 今年の9月、今大会と同じく、大阪は中央体育館で行われた日本拳法総合選手権大会(個人戦)。あまりに会場が広いため、限られた部分しか見ることができない憾み(悔い)があった私は、この全日本学生拳法選手権大会には、新兵器「双眼鏡」持参で乗り込みました。
 結果として、観客席から数十メートルも離れた選手たちの試合ぶりはもちろんのこと、応援する人たちの姿まで数メートルの近くで見ることができ、点でしか見れなかったものが面で見れたことで、たいへん充実した観戦となりました。
 開会式から閉会式までの8時間、2回トイレへ行く以外、食事をするのも忘れるほど、試合会場で繰り広げられる熱戦から目が離せませんでした。

 大会は明治大学の7連覇という偉業達成で沸いていましたが、私自身は自分の楽しみ方で、広い空間での熱戦と8時間という中身の濃い時間にどっぷりと浸り、思い出深い一日となりました。

こだわりの日本拳法

 9月の日本拳法総合選手権大会。
 数百人の選手たちの中でひときわ私の目を惹いたのが、同志社OB、Mさんのこだわり拳法だったのですが、今回の大会では、その後輩である4年生Tさんの拳法が見れるのを楽しみにしていました。

 何がいいと言って、まず彼女の服装。
 普通、道着のズボンというのは、足の踝(くるぶし)くらいまで、人によってはもっと短めで、すね毛が見えるくらいの人もいます。
 しかし、Tさんは踵(かかと)が隠れるくらい長めでダボダボの、まるで、私がむかし履いていたボンタンやドカンという学生服(ズボン)と同じなのです。
 少しくらい機能を犠牲にしても、自分のスタイルに「こだわる精神」。そこに彼女の強烈な個性を感じ、また昔の自分を思い出すのです。

 また、蹲踞(そんきょ)・礼をして立ち上がるその時、肩をカクカクと、いからせるようにして自分の構えに入っていく。この構えに入るまでと、構えた時の姿になんとも言えないクセがあって、なかなかいいんですね。

 その長い足から繰り出される蹴りの小気味の良さ。
 当たらなくてもいい、一本にならなくたっていいんです。「なんだこの野郎 !」という、気概あふれる強烈なファイティング・スピリッツを、その鋭い蹴りに感じるのです。
  https://www.youtube.com/watch?v=S6yleN7ahPQ&spfreload=10

 また、組み打ちで相手を倒しながらも、倒れた相手の足に引っかかって、あられもない姿で真横に、受け身なしで、ドタッと倒れてしまう。
 なんとも言えないリアリティがって楽しい。
  https://www.youtube.com/watch?v=S6yleN7ahPQ
 この人はかなり身体が柔らかいのか、それで、こんな倒れ方をしながらもケガをしないのでしょう。

 「殴る・蹴る」を基本にした、彼女の気力・気迫・気魂むき出しの拳法(スタイル)がいいんです。

場の大切さ

場の大切さ
 9月の日本拳法総合選手権大会にしても、そのあとで見つけたビデオを見るにつけても、私は疑問に思っていました。彼女のあの蹴りには、一体どういう意味があるのか、と。
 彼女の蹴りとは、サッカーの蹴りに似て上に蹴り上げる傾向があり、日本拳法の直線的な蹴りとは少し違う感じがする。本気で一本を取る気のある蹴りなのか、と。

 しかし、今回の大会でその理由がわかったような気がします。

  それは宮本武蔵が実践した「場の創出」ということなのです。
 「場」といい、間合いとどう違うのかと思うかもしれませんが、「間合いとタイミング」を効果的に発揮させるには、場(の確保)が大切なのです。

 宮本武蔵は、敵(小倉藩と佐々木小次郎)が設定した巌流島の決闘場に対し、3時間の遅刻と「小次郎敗れたり」の一喝によって、彼らの場を自分の場にして しまった。そのため小次郎は武蔵の白い鉢巻きにばかり気を取られ、武蔵が持つ、小次郎の太刀(一メートル)よりも約30センチ長い木刀に気がつかずに 斬り込んでしまった。
 (小倉藩の剣術師範という、いわば幕府の警察部門の顔を潰してしまったのですから、今で言う警察庁長官である柳生宗矩は、この決闘以降、様々な人間やメ ディアを使い、武蔵の誹謗中傷を行いました。そのため、武蔵を蔑ろにするような説はたくさんありますが、私はこのように考えています。 因みに、武蔵の書 いた「五輪書」原本は、それを授与された熊本藩から宗矩が強制的に取り上げ、「火事」という理由によって、江戸で焼却されてしまいました。)

 別の例として、私の体験から


「自分の居場所がない」
 私は大学卒業後に就職した会社の新入社員研修で、JEC(日本経営者懇談会)という会社によるスパルタ教育を三ヶ月間受けました。そして、団体賞とチー ムリーダ賞を受賞したのですが、その反動で、配属された部署では恐れられ、煙たがられて、新入社員として居場所がない期間が1年間続きました。
 しかし、自力更生、自分自身で取り扱う商品を研究し、顧客を開拓することで、自分なりの方法論・戦略・戦術によって勝ち続け、その過程で自分のスタイル(場の作り方)を確立しました。
 そのおかげで、入社三年目には他の営業部門や技術、管理部門のどこへ行っても「話を聞かせてよ」と、歓待されました。自分の居場所を確保できたのです。そして、自分の場を確保すれば、より大きな仕事ができるようになる。
 どんなにやる気や技能があっても、自分の場がなければそれを活かせない。

 まず、何事にもこだわる心で自分の拳法や仕事、そして人生に打ち込むことで自分の場を作り出すことです。

 しっかりとした自分の場を点から線、線から面、そして時間と空間へと広げていくのです。

 技能や力はあくまで自分次第ですが、場は多分に「運」というものが影響します。もちろん、「運を引き寄せる」ための自分自身のやる気によって、不運を幸運に変えることはできるでしょう。

 では、生きる場ではなく、死に場所はどうか。
 死に方・死に場所にしても、こだわりを持つべきだと私は思います。

 「マッチ売りの少女」や、「幸福な王子」のツバメ、また、「リア王」の死に場所とは、惨めではありましたが、自分の運命を正しく受け入れたが故に、その 死に場所は未来におけるマイルストーン(里程標)となった。なんとなれば、しっかりとした終わりとは、未来における確実な始まりを約束してくれるか らです。


  閑話休題

 同志社大学OB、Mさんの華麗な円運動と鋭利な直線運動とは、彼女が自分の得意とする面突きを発揮するための「場作り」でした。
 Tさんは、鋭い蹴りによって、同じく彼女の伝家の宝刀とも言える「ワン・ツー」を炸裂させるための場を求めました。
 だから、彼女たちの面突きとは「場と間合いとタイミング」が完全に一致した美しさがある。まるで「何億・何光年」も前から、絶対にこの一点(この場・この間合い・このタイミング)しかない、と定められていたかのようです。

   https://www.youtube.com/watch?v=ydCmBXJJluM 2分28秒面突き

    https://www.youtube.coAm/watch?v=geQauA8pgd0   35秒面突き


  団体戦で連覇 を続ける明治大学(男子)の強さとは、梁山泊の如く、そこにたくさんの個性的な人間が集まっていること。

 そして、どんな大舞台でも一人一人がその個性を発揮している、自分の 拳法(のスタイル)ができる、自分の場を崩さずに戦えること。それを全員が実行できる、というところにあるのではないでしょうか。

   どこの大学のチームでも、自分の場を作ることができる、自分の拳法で2分、3分間を戦える人がいる。ところが、なかなか全員がそういうわけにはいかない、というケースが多い。
 私は観客ですから、その選手やチームが試合に勝つとか優勝するとかよりも、彼や彼女たちが個性的な拳法をどこまで発揮できるか、という点に興味があります。

 日本拳法とは、武道としては死ぬまでできのでしょうが、スポーツとしては大学生までしかできない激しい激しい運動だと、私は思います。
 今年2018年の9月、大阪の中央体育館で行われた日本拳法総合選手権大会で見せてくれた、同志社大学OB、M女史独自の円運動による場の創出という、大阪市立登美丘高校ダンス部のそれに匹敵する「芸術的な演技」は、高校○年間、大学4年間の最後に咲いた美しい一輪の華だったのです。
 そして、第63回全日本学生拳法選手権大会、女子団体戦。同志社大学最後の試合、Tさん最後の胴蹴りの音は、彼女の現役時代最後の雄叫びのように、会場全体に鳴り響きました。

 

<続く>

 

2018年11月30日

 

平栗雅人

 

 

白雲は百丈の大功を感じ、虎丘は白雲の遺訓を歎ず