2017年11月30日(木)

眼下の敵 

戦友(親友)を失ったドイツ人の老艦長は、船尾の甲板に立ち、沈痛な面持ちで白く泡立つ航跡を見つめています。彼にとって、敵との戦いに敗れた(相討ちになった)ことよりも、一人の友人を失った悲しみの方が遥かに大きいのです。

  そこへ、昨日まで彼と死闘を繰り広げ、最後はUボートと共に沈むつもりだった老艦長にロープを投げたアメリカ人艦長が来て、タバコを勧めます。
  老人は煙草をくわえながら「私は過去、何度も死にかけながらこうして生き存(ながら)えてきた。今回は君の所為だ(your fault.)」と、ジョークを言う。死ぬ運命だったのに、お前のおかげ(fault)で生き延びてしまったじゃないか、なんて。
  キリスト教徒というのは、いつでも神の目線で自分たちを見ている。だから、戦争におけるあれほど凄まじい死の恐怖でさえ、サラッと笑い話に転じてしまう。いつまで悲しんでも、運命を恨んでも仕方がないじゃないか、と。戦友の命を救えなかったというやりきれない心の痛みを、こんなジョークにして自分(の魂)を救おうとしているかのようです。

  同じく、戦争で最愛の妻を亡くしているアメリカ人艦長には、その気持ちがよくわかる。
  だからこそ、彼はこう(ジョークで)返します。「おや、それは知らなかった。では、次はロープを投げないことにしよう」。あなたが死ぬはずの運命を変えてしまって、すまなかったな。今度はあなたの(運命の)邪魔をしないよ、と。
  悲しみのどん底にありながら、両人とも見事なファイトです。どうしようもなく深い悲しみ・辛い思い出を、旺盛な闘争心によって笑いに転じてしまう。

  ドイツ人は、「いや、次も君は投げるだろう(I think you will.)」と言って、再び船尾に目を向けます。運命(スクリュー)にかき乱され白く泡立とうとも、再びもとの青い海に戻る大自然(の力)に、いまは運命に勝る安心を見いだしたのかもしれません。

  まったくもって、(本当の)キリスト教徒というのはタフです。あれだけ激しい戦いをしてきてもなおNext one 、戦う意志を失わない。なぜかというと、自分たちが真に戦うべきは、国や人間でなく運命だということを「知っている」からなのです。

  2000年もの間、中国・モンゴル・満州族(清帝国)・ロシア、そして日本という、近隣諸国に翻弄されてきた民族。自分の運命を自分で戦って変えようとせず、ただただ長いものには巻かれろと、各時代の強者(人や国家)に従ってきた者たち。果たしてこれからの日本人も、そんな犬や猫とおなじ生き方をすることになるのでしょうか。

  小説「英雄の器」で芥川龍之介は、運命と戦わず明治天皇という人に従って殉死した日露戦争の「英雄」乃木希典が、果して本当に英雄だったのかという問題を提起したのです。

 

 

 

 

 

 

 


狭い共同体の中で、彼らだけの利益を考えている人間。
これが秘密結社であり、その意味では日本の公務員、警察、日本人と台灣人の客家などもおなじ仲間だ。
禅ではあくまで個人の救済、しかも、自力による魂の解放を目指す。
読経にしても坐禅にしても托鉢にしても、他人の救済など眼目にない。
げんいすくんていふぎゅうおいしいごてんいしゅんさんかいきゅうじんぶどう、じほうさんしいしそんぶさもこさ、もこほじゃほろみ」
斯くの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と共に仏道に昇ぜんことを。
この私がやっている自分一人のための修行を見て、あなた方修行僧ではない一般の方々が、すこしでも「己事究明」の大切さに気づいていただきますように。
秘密結社のような小さな運命共同体ではなく、日本国家のためというような公務員たちが作る幻想に惑わされず、真の幸福とは自分が自分であることを自覚することであり、それを一人一人が自分のいる場で、自分なりのやり方で追求することにある。

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omoidehaissyunnoutini2018

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母親でもなければ姉でもない、「大阪の女」的な、一歩引いた目線でもない。
全くおなじ部員としての気持ち、選手の目線になっている。
これはひとえに、当人にとっての最大の成果でしょう。
学問というものが、あくまで頭を使って文章や数式を「外から」理解し暗記することであるのに対し、場(の雰囲気)に浸り、人との間合いを見極めている。


日本拳法で殴り合いをせずとも、毎日、部員のなかでもまれている内に、人との距離感や場の雰囲気のつかみ方を、誰に教わるのでもない、自分自身で学んでいるのでしょう。


ある目標やマイルストーン現実に殴り合うという厳しい現実

場の雰囲気に安易に同調するのではなく、

 


法ではなく、理(道理・理論)にかなっているから勝つ。
殴り合いの勝ち負けとは、


柔道というのは、経験者でないと、「有効」「効果」「一本」の見極めがむずかしい。
日本拳法の面突きにおける「一本」は、相打ちの判定という


成長する姿を見れる。
母親が子供を、姉が弟や妹を見るような感覚を経験できる。

 

戦うマネージャー
マネージャーに日本拳法はできない。
人を殴って勝つことはできない。
優勝トロフィーはいつでも選手たちのものだ。

しかし、ここに立派に選手たちと全く同一の心になって共に戦う女性や男性たちの姿があるではないか。

試合場でのその姿は、スーツであったり、ジャージであったりするが、白い道着を着て戦う選手と心は一緒だ。


歌舞伎役における黒子のようだ。


試合場で戦う男女(選手)に感情移入するといい、母(父)親として、恋人として、友人としてのそれとは異なる。
あくまで、心で選手と一体化した、いわば選手の分身になっていることで、選手と全く同じ気持ちになって戦うマネージャー
もはや選手とマネージャーは別物ではない。
これは現実に殴る・蹴る・投げる、日本拳法という特異な武道ゆえの

「寸止め」では、仮想と現実の境がかなり仮想寄りであるがゆえに、現実感が湧かない。選手と一体化できない。試合を傍で見る観客の勝手な判定がまかり通ってしまう。

早稲田
府立まであと20日となり、残り3週間は瞬く間に時間が過ぎていくはず です。 残された時間が少ない今だからこそ、 選手だけではなくマネージャーも含め、 部員全員が地に足をつけ、最後まで集中力を切らさず練習していきま しょう!!


明治
明治は今日までどこの大学よりも練習してきました。
・・・出来る事は全てしてきたと思います。
あとは試合で今までの練習の成果を出し、勝つだけです!
量も質も日本一の練習をしてきたと、自信を持って挑んで欲しいです。
私達は絶対に負けません!
・・・!!
勝つぞー!勝つぞー!明治!!


中央
さて、今日のオフショットはマネージャー のちょっとしたお仕事です↓

1年マネのあやかちゃん😉 たまに、道着を縫い途中で置いておくと 洗濯物と勘違いされて針が付いたまま洗 われてしまうことが😳😳
大きな怪我にも繋がりかねないので、縫い途中の道着を入れる専用のボックスを 作りました!

電子立国日本の自叙伝
NEC熊本工場


「先輩たちと一緒に部活ができてよかったです! 一生ついていきます!卍」

 

に面無しで殴ってしまったら、格闘技になってしまう。
見せ物になってしまう。

 

日本拳法ブログ名言集

優勝する事の難しさを誰よりも知っているからこそ、誰よりも努力出来るのだと思います。明治大学


正直、勝つことは難しいとわかっていましたが、いざ負けると悔しいですね(^^1、2年主体の本学としては、実質1、2年ノンセレ限定である新人戦ではぜひ結果を出したいところです。
28日頑張ります!
東海大学


一年生各自の得意技や決め技が固まりつつあるように見えました。各選手の色が見えるようになり、改めて成長を感じさせられました。私もマネージャーとして負けていられません😂! 日本大学

 


府立(全日)の在り方
試合がどうこうというよりも、この大会を盛って4年生たちとお別れ、という思い出を綴る場になっています。


「Once」で、人生の最後、もうこれで本当に二人が会うことはないであろうという、最後の場で、ヌードルズは自分たちの若き頃の思い出を、一瞬ではあるのですが振り返るのです。
そこにはもはや涙も感傷も熱さもありません。
まさに芭蕉見た「枯れ野」があるだけです。
でも、それで彼は十分満足でした。
本当に最後の最後、この一瞬に二人の魂は思い出という共通の心のふるさとを介してひとつになれたのですから。

ヌードルズはイエス・キリストなのです。
友人に裏切られ、華やかで豪華なギャング時代の生活から転落し、貧乏で寒くてくらい生活を30年もの間続けてきた。

肩や○○は、裏の顔は「組織」の一員ではありますが、実業家として政治家として、豪邸に住み、スターを(隠し)妻とし、才気あふれる息子(や娘)に囲まれ、

まさに、富も栄華も愛さえも取り払われた、全くの枯れ木の心という真実に行き着いたのです。

 

作成日: 2017年11月26日(日) 10時06分