「黒澤明 知ってる ?」

はじめに
子供のときに見た黒澤映画は「チャンバラ すごい」、大学時代は同じ映画を観て「三
船敏郎いいね」。そして、大人になって観る黒澤映画とは。
「映画とは見せ物」にちがいないが、単に俳優の演技や映像・音楽を楽しむだけでは
もの足りない。監督が映画に込めた熱い思いを知ってこそ、その映画を本当に楽しんだ
ことになるのではないか。
「黒澤映画」とは、映画会社の指示に従って作らされた、ただの娯楽映画ではない。
脚本家であり映画監督でもあった黒澤明という人間が、その映画を作った当時の社会
に関して、どうしても訴えたかったことを「映画」で表現した、いわば自主製作映画の
ようなもの。ただし、黒澤の才能と情熱のおかげで、素晴らしい娯楽映画として日本の
みならず世界に通用する作品となった。
渡辺文樹の映画のような、かなり現実的で真剣なメッセージを含んだ映画と、スタ
ーウォーズやマトリックスのような超娯楽映画の両面を持つ映画、といえるかもしれま
せん。
木を見て森を見ず(森の中にいると木ばかり見て森全体を見ることができない)といい
ますが、私たち日本人は、黒澤明の映画技術は見ても、その後ろにある心を見ようとし
ない。同じ日本人だから、かえって見過ごしてしまうのか。むしろ外国人の方が日本人
黒澤明の心がよく見える、ということもある。
黒澤が日本人としての熱い思いを込めて作った映画「羅生門(1950年)」が日本で全く
理解されず、イタリアやアメリカで絶賛されたという事実を見れば、いかに日本人が黒
澤映画という巨大な森を見てこなかったか、見ようとしなかったのか、がわかろうとい
うもの。
(この映画の製作会社である大映の社長は、「つまらん。わけがわからん。」と言って
試写会の途中で席を立ってしまったが、映画は1950年のヴェネチア映画祭で金獅子賞を
受賞し、1982年のヴェネチア映画祭50周年記念行事では、歴代グランプリ作品中最高
の作品(獅子の中の獅子・栄誉金獅子賞) に選ばれた。)
私が大人になって知った黒澤映画とは、あくまで日本人の視点で見たものですが、黒
澤明の精神的支柱であった武道体験(剣道)を、彼との共通項にしています  (私の場合は
日本拳法という武道)。 宮本武蔵が「五輪書」で示した「観見の目(神の目線)」という
武道の眼目によって、森を見たわけです。
日本拳法という武道の感性で観た黒澤映画、とでもいうべきものですが、あくまで私
個人のきわめて主観的なものです。
しかし、黒澤明という人間と少しは親しくなれたのではないかと思っています。
 
2013年 11月    平栗雅人


武道家黒澤明 ① 武道家黒澤明
①武道家黒澤明
幼少の頃「うすらぼんやり」して、イジメられやすいタイプであった黒澤明は、小学
校で剣道を始めることで「戦う」という人間の本性に目覚めた。
剣道の戦いとは、一対一の殺し合いともいうべき真剣勝負。いくら防具を着用してい
るとはいえ、打たれれば痛い、リアリティ(超現実)の世界。コンマ一秒の差で生死が決
まる真剣勝負の世界では、心で斬ると思った瞬間、全く同時に身体が動いていなければ
ならない。
黒澤は、剣道で体験する痛みや苦しさを通じ、戦う精神と、心と身体を的確にコン
トロールする力を身につけたのである。
もし黒澤が剣道という武道に出会わなければ、宗教や知識という殻で身を守るしかな
い弱い人間のまま中学・高校生になり、イジメにあっても乗り越えることができなかっ
たであろう。
黒澤明とは、武道で飯を食うということではなく、武道で鍛えた「真実を見る力」
によって、本当の自分を生きることができた人間なのである。
黒澤 明
黒澤 明(くろさわ あきら  1910年3月23日  -  1998年9月6日)
アニメの宮崎駿は別として、世界で最も有名な日本人の映画監督。日本人  = サムライ
という、強烈なイメージを世界に植えつけた功績は大きい。
代表作品として「羅生門」「生きる」「七人の侍」「用心棒」「蜘蛛巣城」「天国と
地獄」「影武者」などがある。生涯で30本の映画を監督(  & 脚本)した。
1950年製作の『羅生門』がヴェネチア国際映画祭で最高栄誉の金獅子賞、第24回アカ
デミー賞特別賞(最優秀外国語映画賞)を受賞。そのほか世界的な賞を数多く受賞・ノ
ミネートされた。米国映画芸術科学アカデミー会員。
1985年 文化勲章受賞
1998年(平成10)国民栄誉賞
1999年 英国の雑誌  Timeで「20世紀で最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた

「姿三四郎」1943年(昭和18年) 東洋のハムレット大日本帝国
「姿三四郎」1943年(昭和18年) 脚本 黒澤明  東洋のハムレット大日本帝国
明治15年の東京を舞台に、田舎から上京した姿三四郎という青年が、柔道を通じて人
間的に成長していくドラマ。姿三四郎という人間に、この映画を制作した当時の日本と
いう国をオーバーラップさせている点に、この映画の面白みがある。
「姿三四郎が、思いをかける女性の父親と戦うことに悩む」「敵(柔術)を滅ぼすことで
自分(柔道)が生きる。それが真の平和につながるのか悩む」といったプロットは、シェ
ークスピアの「ハムレット」と似ている。
西洋の「ハムレット」は、若き純真な魂が世俗的な大人たちに翻弄され、悩み、崩壊
していく悲劇を描いたが、大日本帝国という純真な青年もまた、西欧列強という大人た
ちの欲望うず巻く国際社会に翻弄され、歴史のなかに押しつぶされた。
黒澤映画「姿三四郎」の主人公は、なぜ戦うのか、何のための勝利かという悩みを
、武道という「道」に求めることで乗り越えたのだが。
見どころ
① 姿三四郎が矢野正五郎の弟子となり柔道を学ぶようになってから、歳月が流れる
。姿が道に捨ておいた下駄が雨に打たれ、人に蹴られ人力車にはね飛ばされ、段々とぼ
ろ雑巾のようになっていく。姿の鍛練の厳しさを下駄は物語る。
→ それまでアジアの強国とされていた中国(清帝国)が欧米列強に侵略され、中国の保護
下にある韓国も同じ運命にあった。アジアではひとり日本だけが刻苦勉励し、ペリーの
来航(1849年)から50年足らずで、猛然と西洋によるアジアの植民地化に対抗しうる力を
身につけたのである。
② ある晩の繁華街
喧嘩だ喧嘩だ、という人々の声と共に、大勢の若衆たちと街なかでケンカをする姿が
登場する。街の中を縦横無尽に暴れ回る姿。しかし、誰もこの若者にかなう者はいない

→ これは、1940年頃の日本を象徴している。
アヘン戦争で西洋に敗北したあと、今度はその援助を受けて西欧化にはげむ中国も、
インドネシアやビルマを侵略していたオランダや英国も日本の敵ではなかった。経済と
軍事においてアジアの最強国家、それが当時の大日本帝国であった。
ところが、そこへ一人の大男が現れて姿と戦いを始める。これが大国アメリカである

③翌日、矢野に怒られる姿。
矢野 「強い。全く強くなった。お前の実力は、もはや私の上かもしれん。しかしな、
姿。お前の柔道と私の柔道とは天地の隔たりがある。気がつくか。お前は人間の道を知
らん。人間の道を知らぬ者に柔道を教えるのは、これは「狂人」に刃物を持たせるのに
等しい。理性もなく、目的もなく、狂い回るのが人間の道か。」
→ 戦うのはいい。強いのはいい。しかし、 強いといって誰かれかまわず喧嘩をする
のは、武道の精神から外れる。それは正ではなく狂だ。
武道家黒澤には、当時の日本の指導者たちが、武道の精神から逸脱していると見えた

実際、映画や出版物を取り締まる当時の政府の検閲官をして、あの紳士的な黒澤が「
奴ら」と罵倒するほど、当時の日本の役人は「狂って」いたらしい。
④神と人間のちがい
矢野に怒られた姿は、これに反発して池に飛び込み、一本の杭につかまって抗議する
。他の弟子たちは許しを乞うが、矢野はこう言って突き放す。
「姿は死にはせん。考えているのだ。黙っていても、出るときは出る。それでいいのだ

矢野正五郎とは「神的」である。人は自分で目的地へ行き着くことができる。大自然(
山や海・花や木)と対話すれば、天地自然の真理は自ずから明らかになる。「時間が解
決する」というが、いつか自然に答は見つかるものだ、と。
ところが、神のごとく厳格でストレートな矢野に比べ坊主は人間的だ。池に漬かる三
四郎を心配して、あれやこれや話しかける。
和尚「こら、慢心。つらいか。うん?」「返事をせんところをみると、悟れんな。」「
降参する気はないか、三四郎?・・・しかし、お前がつかまっている杭がなくなれば、
お前は泥に沈んでしまう。陸へ上がるのは無念。杭なくば死ぬ」
三四郎「うるさいぞ! 坊主」
和尚「どうだ。ここらで降参して陸へ上がれ」
三四郎「上がらん」
和尚「ふん、強情っぱり。それもよかろう。夜もすがら、月を眺めて明かすか」
禅坊主とは、口ぶりは男っぽくでも、性格は女性的なのが多い。この坊主も、大自然
の心と一体化しようと格闘している三四郎に、まるで母親のようにやさしく話しかける
。「いずれわかる」と、毅然としている矢野と違い、ああしろこうしろと口やかましい

だが、人間にとって父親と母親は両方必要だ。「いずれわかる時が来る」といって、
それまでの間にめげて、非行に走ってしまう子供もいる。「悟るまでの時間稼ぎ」と
して、母親が話し相手になってやることも大切なのである。
弟子を厳しく突き放す父親役の武道家と、それをフォローする母親役の坊主という構
図は、まるで、漫画「巨人の星(昭和41年〜46年)」における、父「一徹」と、主人公「
飛雄馬」を優しく見守る姉「明子」のようだ(母親はいない)。三四郎が池に飛び込んだ
とき、驚いてエプロン姿で飛び出してきた坊主は、まさに「母親」を感じさせる。
⑤ ある日、神社にお参りにきた矢野と姿は、神殿の前で祈りを捧げる乙女の美しさに
感動する。
矢野「見ろ美しいじゃないか。
姿、あの美しさはどこから出てくるかわかるか。
祈るということの中に己を棄てきっている。自分の我を去って神と一念になっている

あの美しさ以上に強いものはないのだ。
我々はここで遠慮しようか。
いいものを見たな姿。 いい気持ちだ」
こう言って、二人は離れたところから神殿に礼をし、静かに立ち去る。
神は目に見えないが、「神に祈る人間の美しい姿」に神を見た二人。お経も線香も木
魚もない。色も匂いも音もない世界で、ただひたすら自分の心を神に近づけようと「
戦う」美しい姿に、三四郎は武道と共通する「真剣」の心を見たのである。
ここで大切なのは、矢野はその美しさに「強さ」を感じ取ったということ。単なる美
の賛美で終わらないところが武道家なのである。日本拳法の試合では、単に相手を殴る
だけでは、審判に一本と言わせることはできない。強さの証明とは、そこに「美しさ」
がなければならない。
→ 姿三四郎とちがい、昭和の日本の指導者たちは「正しい強さ」という日本武道の精
神が、ついにわからなかった。三四郎に破れた柔術家「門馬三郎」のように、ただただ
力で押すことばかり考えていた(戦艦大和)。
いつの世でも、若き未熟な魂は大人たちの汚れた心によって潰されてきた。
東洋のハムレット、大日本帝国という頭でっかちのインテリもまた、西洋という大人
に破れたが、汗水流して働く八百屋のおばちゃんや大工のおやじという「真の人間」は
負けていない。知識や肩書ではなく、身体を使って学ぶという日本武道の精神は、彼
ら庶民の心の中に今も生きている。
映画「姿三四郎」と「虎の尾を踏む男たち」の「富樫」役は、俳優「藤田進」でなけ
ればならなかった。黒澤は「姿三四郎」という映画に当時のアジア情勢を反映させたの
と同じく、俳優もまた、今この時、この役者しかいないという「旬」の役者を選んだ
。藤田進という男の「一番おいしい時期」に姿三四郎という適役を見つけてきた、と言
えるくらい、藤田のためにあるような役だった。日本の誇る世界的映画俳優「三船敏郎
」でも、この役だけは藤田に敵わなかったであろう。
「一番美しく」1944年(昭和19年)  反戦映画の最高峰
「一番美しく」1944年(昭和19年) 脚本 黒澤明  反戦映画の最高峰
敵と戦い自分と戦う武道家、姿三四郎は強く、そして美しかった。武道とは、純真な
精神の集中であり、誠実さであり、(怒りや憎しみを超えた)優しさである。これが「姿
三四郎」二部作によって武道の精神を完成させた、黒澤明の到達点であり出発点でもあ
った。
しかし、「姿三四郎」に登場する「小夜」という女性もまた、日本人ならではという
、内からにじみでる強さ、美しさを見せていたではなかったか。
一心不乱に祈る彼女の姿や、自分の父や三四郎をどこまでも信じるひたむきさ。本
来「弱き者」であるはずの女性でも、一生懸命神に祈る、ひたむきに人を信じることで
、強さと美しさが生まれる。この精神的な強さと美こそ、柔道や剣道という武道に対抗
するほどの「力」である、と黒澤はいうのである。
前作において、武道の強さと美しさを描いた黒澤は、今度は、日本女性の内面的な
強さ と美しさを、この「一番美しく」という映画(というよりもドキュメンタリーに
近い)で証明しようとした。顔やスタイルや衣服でなく、内面の充実によって醸(かも)し
出される精神力の美しさ。
 しかも、インテリが頭で考えた「精神力」ではなく、少女たちが汗水流し、身体で見
せる「天地自然の精神力」を、日本人にあらためて知ってもらおうとしたのである。(
少女たちの監督官たちは、職務に忠実な人間である。だが、彼らの口にする「人格」
や「精神」と、少女たちが行動で見せるそれとでは、重み・次元が違う)
映画のストーリーは単純である。第二次世界大戦中、神奈川県平塚にあるレンズ工場
で働く女子工員たちの毎日をドキュメンタリー風の物語として描いている。
当時、学校でも工場でも、学生や従業員を監視するために、政府から役人や軍人が送
り込まれていた。しかし、無邪気な少女たちは、まるでバレーボールやサッカーの試合
に熱中するかのようにして、それぞれの仕事に邪心や疑念を捨てて一心不乱に集中した

戦争も政治も宗教もない、彼女たちの純真な心は、「撃ちてし止まむ」などという、
偽善的な言葉を超越した美しさに輝いている。
この映画の最大の見どころは、ラストの場面にある。ここで黒澤は、またしても彼の
得意技「反転・切り返し」を使い、観客の心をアッと言わせる。黒澤は当時の映画人が
強要された「戦争賛美映画の製作」を武道家らしく、非常に巧妙に、そして豪快に切り
返した。彼らの力(命令・圧力)を利用して、ものの見事に投げ飛ばしたのである。
戦争のため、国家に奉仕するために、母の看病はおろか葬式にさえ行けない(行こうと
しない)娘。女子工員の指導的立場にあった彼女は、24時間いつでも「ツッパリ」通し
、模範的女性の仮面をかぶって生活していた。だが、ラストの場面で「能面」をはずし
た彼女の素顔は、涙でクシャクシャになっていた。
さらに見事な切り返しが、もう一つある。母の死を聞き、深い悲しみに慟哭・号泣す
るはずの少女が、能面のように無表情な顔をして作業場へ去る。この時、彼女たち女子
工員の寮母は、このいたいけな少女をこう評して微笑む。
「本当に良い子になりました」。
この恐ろしさ。この瞬間の寮母の顔には、四谷怪談に匹敵するほどの怖さがある。
寮母は、女子工員たちと同じように、純真で美しい心をもつ優しい女性だ。その彼女
の美しい顔がラストのこの場面で、「般若・鬼女の能面」になるのである。
戦争(に協力すること)を賛美するかのように見えるこの映画は、実は、戦争の狂気を陰
画にした映画でもあった。「お国のため」「鬼畜米英」という掛け声によって人々が洗
脳され、平時の悪が善となり、正義を説けば非国民と罵倒される。黒澤は、当時の恐ろ
しい社会の風潮を、逆に「美しさ」に反転させることで、無抵抗の抵抗をした。陰と陽
、真理の裏表。そのギリギリの一点を衝くことを剣道で学んだ黒澤が、映画作りにお
いて、その力をみごとに発揮した作品のひとつといえよう。
「虎の尾を踏む男たち」1945年  アメリカに逆らった日本
「虎の尾を踏む男たち」1945年 脚本 黒澤明  アメリカに逆らった日本
1185年、平家追討に勝利した源氏の大将、源義経は、兄、頼朝の不信を買い、今度は
自分が追われる立場となる。逃避行の途中、安宅の関所を通過しようとする一行七人は
、そこで出会った一人の強力(ごうりき  : 荷物持ちの人夫)と共に、苦難のすえ関所を通
過する。
この映画で黒澤は、エノケン扮する強力の口を借り、第二次世界大戦当時の日本の立
場を切々と語らせる。
「ふん、面白くもねえ。将軍様ともなりゃあ兄弟喧嘩も大がかりになんのか知れね
えが・・・ 実の弟を獣のように駆り立てて。可哀相なのは義経様だ。音に聞こえた源
氏の御大将が身の置き所ひとつねぇたぁ」と涙ぐむ。
→ 日清·日露·第一次世界大戦と、西洋諸国の先兵となり、アジアで戦争に首を突っこ
んできた日本。特に、アメリカはいやがる日本を無理やり開国させ(ペリーの来航)、兵
器を売り込み、近代戦争(植民地獲得戦争)のやり方を「懇切丁寧に」日本に教え込んだ
、いわば日本にとっての「兄」ではなかったか。
日本という弟は、この「兄」の援助を受けて中国(清帝国)を朝鮮半島から追い払い、中
国の属国であった朝鮮をその軛(くびき)から開放し、今度は、満州・朝鮮に攻め入ろう
としたロシアを駆逐した。言わば「兄」の代理として、日本が必死で守った朝鮮半島。
ところが、今度(第二次世界大戦で)は、その「兄」によって日本はそこを追われ、日
本という国自身も存続が危うくなってしまった。
錦の御旗をかかげた正規軍から、一転して賊軍となり、武士から山伏に身を変えて山
野を逃げる弁慶が、悲哀と自嘲を込めて言う。「野に伏し山に伏し、苦行するのを山伏
と申すなら、今や我ら一同、まぎれもない山伏じゃ」。
敗戦まぢかの時期(昭和20年)、落ち武者として海や陸でアメリカ軍に追い詰められ、死
んでいった多くの日本の兵隊を思い、(黒澤は)こう嘆くのである。
黒澤はエノケンという、チャップリンに劣らぬ日本の誇る喜劇の名俳優を、伝統芸能
である歌舞伎に登場させることで、日本の歌舞伎という「小さな国の物語」を「世界に
通用する芝居」にまで引き上げた。服装や音楽だけでなく、精神面で西洋人の意識に入
り込んだのである。
エノケン演ずるこの強力こそ、ドン・キホーテのサンチョ・パンザ、あるいは、トラ
ンプのジョーカー(おどけ者だが、時に強力な助っ人となる)である。つまりこの強力は
、重苦しい軍国主義の蔓延する日本社会に現れ、与えられた色眼鏡でしか事実を見れな
い人間に、ズバッと現実を語り、人の心を開かせるという役割を持つ。歌舞伎の世界に
登場した稀代の狂言師・エノケン。歌舞伎役者スタイルの大河内伝次郎(弁慶)と狂言師
エノケン(強力)の絶妙の対比というコラボ(融合)は、黒澤映画の中でこそ可能となった

あくまでも武士の意地を貫く弁慶と、不遇のなかでも気品を失わない義経。彼ら武士
の魂に感じ入り、身の危険をも省みず、武士と庶民の垣根を超えてこれを助けようとす
る強力の俠気。武道家黒澤が見た、大衆の武士道。それが「任侠」なのである。
勝者が次の瞬間には敗者となる。勝利と敗北とは、ほんの紙一重の差で立場が逆転
する。この原理を剣道の世界で知る黒澤には、義経たちの運命とその無念がよくわか
った。そしてその気持ちを強力に代弁させ、且つ、敗戦がほぼ確定した当時の日本とい
う国にオーバーラップさせて「来るべきアメリカ軍の占領のためにこの映画を作った」
というのは、あまりに考えすぎであろうか。(実際、この映画の撮影中に敗戦となり、
映画の真意を知らない進駐軍が撮影所へ見物に来て、楽しんでいたという)
「素晴らしき日曜日」1947年(昭和22年) 日本版「罪と罰」Ⅰ
「素晴らしき日曜日」1947年(昭和22年) 脚本 植草圭之助・黒澤明 日本版「罪と罰」Ⅰ
この題名が、素晴らしい。というのは、この日曜日ほど散々な日はないからだ。
昭和21年、国家公務員大卒の初任給が540円(銀行員大卒で220円)、まんじゅう一個5円
、電車初乗り5円、コーヒー一杯5円(ミルクが入ると10円)。ところが、この映画のカッ
プル(雄造と昌子)は、週に一回しか会えない日曜日のデートに35円しかない。貧乏なの
は彼らだけではない。当時、日本中がこういう恋人であふれていたのである。
この映画は、ドストエフスキーの「罪と罰」と同じ。つまり、物や金に振り回されて
いた人間が、ついに精神的な価値に目覚めることで、真の幸福を手に入れる、という
物語。
映画では、先ず二人で住む家(アパート)を探す。が、二人の稼ぎではとても無理。気晴
らしに動物園へ行くが、猿やキリンの方が自分たちよりも立派な家に住んでいるのを見
て意気消沈。一枚10円のコンサートのチケットも、ヤクザに買い占められて駄目。喫茶
店でもボラれ、代金の代りにコートをおいてくることに。
空襲で焼け野原となり、まだあちこちにバラックや廃墟が残る東京の街。ところが、
昼間から着飾り、キャバレーやダンスホールで酒を飲み・踊る人間がいる。多くの戦災
孤児のかたわらを、きれいな着物に着飾った裕福な家庭に育つ子供が歩いている。必ず
しも皆が皆、貧乏なのではない。戦争で逆に「焼き太り(儲ける)」している人間がいる

(ヤクザといっても、本当の日本人のヤクザ(任侠)は、戦争が始まると真っ先に徴兵され
、最も危険な場所(最前線)に行かされ、そのほとんどが戦死した。敗戦当時、茫然自失
状態の日本人に暴力をふるい、略奪したヤクザというのは日本人ではない。)
「罪と罰」の主人公ラスコールニコフは、優秀な人間は人を殺してもいい(他人を踏み
にじってもいい)という論理の持ち主であり、自分のような優秀な人間が金と物を使い
、国家を動かすべき、というのが彼の正義であった。ところが彼は、自分よりも劣る人
間(一人の売春婦)から、知識ではなく心の大切さを教えてもらう。ラスコールニコフの
心の変化の模写には説得力がある。それが小説「罪と罰」の醍醐味である。
日本人の場合、闘争心によって「金と物の幻想」をぶち破る。まるでずぶ濡れになっ
た野良犬のように、叩かれ打ちのめされ、絶望の底へ落ちたところで沸き起こる戦い
の心。これによって、雄造は前向きな心を取り戻す。そして、昌子の愛と。
空腹で切なくてやるせない最低の状況でこそ、魂の光は見えてくる。剣道の稽古で、
ヒィヒィいいながら、声も出ないくらい打たれ、叩かれて、それでも立ち上がる闘争心
。剣の技術も体力も尽き果てたところに、唯一絶対に消えない戦いの心が生まれる。こ
れこそ、武道家黒澤が見た、肉体が消えても残る真実なのである。
この映画のように、沢山の貧乏な恋人たちが生み出される状況が、これからの日本で
再び起こるだろう。その時、いったい誰が裕福なのか。そして、本当に幸せになれるの
はどういう人間なのかを、よく考えるといいだろう。小説でも映画でもない。生きた「
罪と罰」、自分自身の「素晴らしき日曜日」を体験するために。日本人ならそれができ
るのだから。
ラストで駅のベンチに坐る二人。その横のごみ箱には、英語で「TRASH」の文字。 悲
しい時に流れる陽気な音楽のコントラストとは、「富と貧困」の対比でもある。
「野良犬」1949 年 飼い犬と野良犬
「野良犬」1949 年 脚本 黒澤明・菊島隆三     飼い犬と野良犬
終戦後の混乱が続く東京で、一人の若い刑事がバスの中で拳銃を掏(す)られる。盗ま
れたこの拳銃を使って犯罪を重ねる男を追い詰め、逮捕するまでの物語。
この映画だけを観れば、警察官や正義を賛美している話に見えるが、他の黒澤映画の
なかの一つとして観れば、ちがった絵が見えてくる。この映画もまた、黒澤の得意とす
る「だまし絵」なのである。
「ルビンのだまし絵」とは、一枚の絵の中に、盃(さかずき)と人の顔が一緒に描かれた
白黒の図形。白をベースに見ると盃に、黒を主体に見ると人の顔に見えるという、不思
議な絵である。
黒澤はこの「錯視現象」を映画で利用した。すなわち、二つの事実によって一つの真
実を浮かび上がらせようとした。映画では、背格好も経歴も、そして、真面目で心優し
いという性格まで同じ二人の若者を登場させ、彼らに全く正反対の行動を取らせるこ
とで、一つの真実を二つの面(世界)から追求するという試みを行った。つまり、犯人も
刑事も、共に真実を構成する一部なのだ。
彼ら二人の住む世界は全く違うが、その二つの世界を作ったのは別の人間である。そ
れは神ではない。間違いなく人間だ。その人間(たち)からすれば、「刑事」も「犯人」
も両方必要なのである。「善」と「悪」その両方がいてくれてこそ、「彼らの世界」が
成り立つ。黒澤は善と悪、その両面をクッキリと対比させることで、「一枚の絵」の全
体像を我々に見せようとしたのである。
「正義」は言う。「確かに世の中も悪い。でも、何もかも世の中のせいにして悪いこ
とをしている奴はもっと悪い」。あるいは「一匹の狼(犯人)のために傷ついた、たくさ
んの羊(被害者)を忘れちゃいかんのだ」と。
そして、「悪」に言葉はない。戦後の焼け跡にうごめく闇市の人々と、多くの生活困
窮者たちの映像。そして、ラストでの犯人の涙。
刑事も犯人も共に戦争の犠牲者
戦争のために日本人全員が苦労した。刑事も犯人も、ともに正直で純粋な若者だ。た
またまその選択が公務員(刑事)と民間人(犯人)に別れただけ。1947年には、東京で22歳
の女性が野犬に食い殺されるという事件があったくらい、当時は人も犬も飢えていた。
多くの若者が野良犬のように、日本国中の街を彷徨っていたのである。
映画の最後における犯人の号泣こそが、社会に押しつぶされた純粋な魂の苦しみを表
現している。泣くこと以外、いったい彼に、どういう社会への告発のしかたがあるのか

日本という飼い主を亡くした野良犬
好きで野良犬になったのではない。日本という飼い主によって戦争に駆り出され、死
の恐怖、飢餓の苦しみにさらされ、身も心もぼろぼろになった。そして、日本に帰って
みれば、当の飼い主は知らんぷり。日本という飼い主は、負け犬となったかつての飼い
犬には冷たい。「犯罪者」として社会から弾き飛ばすだけなのである。これを見て、水
戸黄門様なら、いかがなされたであろうか。
互いに見ず知らずであっても、戦場で共通の敵と戦った同じ日本人が、戦後の日本で
、今度は日本人同士で殺し合いをしなければならない、という悲しさ。
この「野良犬」という映画は、後に続く黒澤映画という壮大な交響楽の序奏でもある

「醜聞」1950年 日本版「罪と罰」Ⅱ
「醜聞」1950年   脚本 黒澤明・菊島隆三     日本版「罪と罰」Ⅱ
ある観光地の旅館で、たまたま宿が一緒になった画家と美人の声楽家。その二人の姿
を写真週刊誌が「密会」としてスクープした。名誉を重んずる二人は弁護士(蛭田)に依
頼して、出版社を告訴する。この弁護士は酒とギャンブルに目がないだらしない人間な
のだが、天使のように清純な娘がいる。裁判では出版社が雇った優秀な弁護士との争い
になり、原告の敗訴が確定したかに見えたが、娘の死により真実に目覚めた蛭田の告白
によって。
この映画は、一見すると他人の私生活を食い物にするマスコミ批判のように見える。
あるいは、弁護士にも良いのと悪いのがいる、という事実を教えているかのようだ。
だが、黒澤はこの映画で、真実を正しく見ようとしない無邪気な大衆の存在を指摘し
、その危険性もまた訴えているのである。
黒澤のような映画屋にとって、大衆は大事なお客さんだ。しかしその大衆とは、黒澤
が映画で主張する真実ではなく、「別の事実」に関心を持つことが多い。映画の内容そ
のものよりも、むしろ俳優や音楽について、あるいは映画制作の裏話(うらばなし)のよ
うなことを好んで話題にしたがるものだ。
たとえば、黒澤の代表作「羅生門」では、「何が真実なのか」というテーマではなく
、「羅生門」の俳優の演技や音楽の素晴らしさ、ベネチア映画祭で金賞をもらったとい
うような話題ばかりが取りあげられる。受賞したのは真実だ。しかし、この映画がなぜ
受賞したのかという、映画の内容についての議論や考察がなければ、観衆が自分の頭で
それを考えなければ、この素晴らしい映画を本当に見た、楽しんだことにはならないだ
ろう。
ここに大衆(人間)の弱さがある。真実を見ない(考えない)で、虚構(別の真実・あまり重
要でない真実)を見て納得し、感激し、そして安心する。
映画「醜聞」の最後、娘の死によって物と金の幻想から目覚め、小説「罪と罰」の主
人公と同じく、真の人間となった蛭田のことを画家はこう言って讃える。「僕たちは生
まれて初めて、星が生まれるところを見たんだ。その感激に比べれば、(裁判の)勝利の
感激なんてケチくさくて問題にならん」と。
黒澤にしてみれば、自分が丹精込めて作った映画の真実(黒澤の心)を観客が理解してく
れれば、賞など、どうでもよいことなのである。
民主主義の世の中では、大衆の支持が多い方が正義とされる。だが大衆とは、本当に
大切なことを理解せずに、「世論」という幻想に騙される。あるいは、嘘かもしれない
と思いながらも、その嘘を支持してしまう。そんな「無邪気な大衆」がその社会・国に
多ければ、人々は真実を見失い、鼠の集団自殺のような行動をとる。それはまるで、70
年前の「大日本帝国」のようだ。
「尊敬のない人気なんてたくさんだわ。 見せ物になるのは真っ平」という声楽家の言
葉には、スキャンダル(嘘や幻想)で売っているのではない、私の真実(歌と心)を知っ
てほしいという、歌手と聴衆(大衆)の正しい関係を求める真の芸術家の心があった。
プロレスは観客に夢を与えるという性質上、多少の嘘も許される。しかし、武道の試
合とは、真実を見るために観客がいる。事実の証人として、武道の試合に必要な存在な
のだ。
「姿三四郎」で主人公は言った。「柔道は見せ物ではない」と。武道家黒澤明は、映画
という見せ物の中に、武道としての真実を見せるために映画を作ったのである。
「羅生門」1950年(昭和25年)  真実とはなにか
「羅生門」1950年(昭和25年) 脚本 黒澤明・橋本忍  真実とはなにか
(原案は芥川龍之介の小説「藪の中」)
時は平安時代。洛外(京都の郊外)で一人の男が殺された。犯人として逮捕された盗
賊と、殺された男の霊、男の妻、そして、死体の第一発見者の木こり。だが、検非違使
庁(裁判所)で語られる四人の証言は、それぞれ全く食い違っている。「ひとつの真実」
に対して「四つの異なる事実(証言)」がある。いったい、誰の証言が真実なのか。
朽ち果てた羅生門の下で、この奇怪な話について語りあう木こりと僧侶、そして雨宿
りに来た男。雨が上がった空の下、「彼ら」が見たこの事件の真実とは。
この世の中で、いったい「何が真実なのか」。
人類永遠の問いかけともいえるこのテーマを、この時期、黒澤が映画にしたのには理
由がある。
十字架上の日本
1933年(昭和8年) 日本は国際聯盟を脱退したが、前年の12月8日、日本の外務大臣松岡
洋右は、国際聯盟の総会において、こういう趣旨の演説を行った。
「あなたがた(日本以外の当時の聯盟加盟国)は、日本を十字架にかけようとしている。
それはまるで、2000年前のイエス・キリストのようだ。かつて人々はイエスを悪者であ
ると決めつけ、彼を殺した。しかし今や、あなた方イエスを死刑にした人間の子孫はそ
れを後悔し、逆にイエス・キリストを神の子として崇めている。現在、日本はあなた方
から非難され孤立している。しかし、この日本がいつか必ずあなた方に理解され、受け
入れられる日が来るに違いない。」
この演説は、総会では総立ちで拍手喝采されたが、翌日の海外の新聞はあまり好意的
にその内容を伝えなかった(痛いところを突かれたのだから当然であろう)。
しかし、日本では「松岡、よくぞ言ってくれた」と、国中が沸いたという。1910年(
明治43年)生まれの黒澤は、当然、この時のことを鮮烈に覚えていたはずである。
極東軍事裁判(東京裁判)
1946年(昭和21年)から始まり、1948年(昭和23年)11月4日に判決がくだり、同年12
月23日、A級戦犯七人が絞首刑となった。
皇太子(平成天皇)の誕生日に死刑を執行するとは、やってくれるじゃないか、という
暗い気持ちで日本中が落ち込んだ日であった。「羅生門」の公開が1950年(昭和25年)
ですから、昭和23年というのは黒澤たちが映画の構想を練っていた時期である。
何が真実か
何が真実なのか。それがわからぬままに、人が人を裁くということができるのか。
被害者も加害者も、そしてそれを端(はた)で見ていた第三者までもが嘘をつくのが人間
の世界。真実など、どこにもないこの世の中で、いったい誰が、何をもって真実とし、
神のごとくに人や国を裁くことができるのか。
黒澤は、第二次世界大戦が終了してまだ間もない当時、日本人が口に出して言えない
この胸の内を、日本を代表してこの映画で訴えたのである。
映画「羅生門」の芸術的価値を見いだし、そこに込められた日本人の心を見抜き、ヴ
ェネチア映画祭を通じて世界に紹介してくれたのは、同じ敗戦国のイタリア(人女性)
であったという。
四人の証言
この映画が欧米人の心の琴線に触れた理由は、もう一つある。
映画「羅生門」に登場する四人(木こり・武士・その妻・盗賊)は、一つの事実(殺人)に
ついて、それぞれの立場から証言した。そして、それはすなわち、キリスト教の聖書に
おける「四人の証言」と同じなのである。
聖書では、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという四人の人間が、イエス・キリストと
いう一人の人間(神の子)が殺されるまでの様子を証言した。それが「四つの福音書」で
あり、聖書の中核となる書である。もちろん、「四つの福音書」が嘘だというのでは
ない。一つの事実に対して四人の証言があるのだ。
原案である芥川龍之介の小説「藪の中」に、聖書に関する記述はない。
また、黒澤自身も子供の頃、毎朝剣道の稽古に行く時に、かならず八幡神社にお参り
していたくらいだから、「神」の意識は強かったであろうが、クリスチャンではなか
った。
しかし、黒澤は「羅生門」の「四人の証言」という設定によって、聖書を日々の(精神
的な)糧とする欧米人の心象に強く訴えることができる、と考えた。すなわち、この映
画を見たキリスト教徒(欧米人)は「四人の証言」に必ず反応するはずだ、と。
黒澤はこの映画を、ただの文学的・芸術的作品として作ったのではない。
アメリカの映画監督ジョン・フォードが1930年代のアメリカ社会に対し「怒りの葡
萄(1940年)」で抗議したように、日本人黒澤明は1940年代の日本人の強い思いを、映
画「羅生門」に込めて全世界に訴えたのである。
武道家黒澤明の見た真実         「五番目の証人」
殺人現場を直接目撃した証人として、盗賊、侍とその妻、そして木こりの四人がいる
。 
 だが、じつはここに第五番目の証人がいる。
それは、物語の最後に登場する、門の下に置き去りにされた赤ん坊である。この赤子
こそ、将来、この事件の真相を究明し「真実」を見いだしてくれる「時代の証人」とな
るのだ。
 
歴史というものが、「生きた証人」が存在する間は本当の歴史にならず、百年、千
年経ってからようやく真の歴史となるように、やがてこの赤ん坊に象徴される子々孫々
の時代となり、彼らが冷静に、客観的に事実を評価できたとき、真実は明らかになる。
木が千年・二千年経って、ようやく木としての存在と威厳を示せる姿となるように、「
事実」というものもまた、時間という養分を取り込みながら、「存在感のある事実(=
真実)」となるのだ。
柔道や剣道、日本拳法といった武道の試合は、神前(神棚を前にして)で行われる。大衆
という観客以前に、先ず「神」という証人がいる。そしてこの証人は、武道における「
コンマ一秒の真実」を確実に見究めることができる。しかも、無限の過去から永遠の未
来にわたり人間を見守る、不滅の証人である。
武道家黒澤は、この「神への思い」を「赤ん坊」に託したのである。
日本人の証明
これは日本の俳諧における「連句・連歌」である。平安時代に記された説話「今昔
物語」、大正時代芥川龍之介によって書かれた小説「藪の中」、そして昭和における黒
澤明の映画「羅生門」。三人の作者が、日本民族の時間の流れの中で、ひとつの事件を
追い続ける。それぞれ微妙に異なる三つの物語が、序・破・急というように、連続した
物語となる。説話「今昔物語」で始まり、小説「藪の中」でつなげ、映画「羅生門」で
完結する。三人の日本人芸術家による連係プレーが、一千年の時空を超えて一つにつ
ながったのだ。
千年かけて一つの物語を作り上げるというのは、時間の神を信じ、縄文時代の昔から
連綿として同じ心を引き継ぐ日本人でなければできない、一大文学なのである。
アメリカ映画「十二人の怒れる男    1957年」 とはキリスト映画
父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、十二人の陪審員が議論を戦わせる物語。十一
名が有罪(死刑)を支持するなか、一人の陪審員の熱意ある説得により、全員が真剣に討
議をすることで、次第に事件の真相が解明されていく。
十二人の陪審員が裁こうとしているのは「イエス・キリスト」であると考えれば、人
を裁くということがどれほど重みのあることなのか。それをこの映画は私たちに投げか
けている。
イエス・キリストという男は、本当に正しく審議されて「死刑」になったのか。磔(は
りつけ)にされたイエスに対する人々の評価というものは、本当に確信・裏付けのある
ものだったのか。当時、イエスの死を決定した人々とは、もしかしたら、この映画に登
場する陪審員のように自分の個人的な事情(好み)から、物事を正しく見ず、早急に判決
を下したのではなかったのか。
この映画では、陪審員たちの様々な個人的事情が明らかにされる。早く野球の試合が
見たいから評議を終わらせたいという男。子供が自分に反抗して家出した、その憎し
みを、いま自分たちが裁こうとする青年にぶつけようとする父親。会社の経営が思うに
任せない為に苛立っている経営者。
当然ながら、人間は誰もが個別の事情をかかえて生きている。しかし、人を裁くとい
うのは、そういう人間的な思惑で行われるべきではないはずだ。事件の証人たちが「自
分に都合良く目にした事実」を、陪審員がこれまた、自分に都合の良い証拠として受け
入れ、機械的に評決を下すのでは、リンチ(私刑)と大差ないではないか。
名優ヘンリー・フォンダ扮する男の職業は建築家、即ち「大工」、つまりはイエス・
キリストの父親であるヨセフと同じ職業である。彼は他の陪審員と違い、この事件を他
人事として冷たく突き放さず、同じ人間としての優しい視点で、容疑者を見ている。
そして、「Architect」建築家らしいというか、アメリカ人らしい、論理的な話の進め方
をする。
黒澤明の「羅生門」を観たあとでこの映画を見れば、二つの映画が同じテーマを取り
上げていることがよくわかる。「何が真実なのかのわからぬままに、人が人を裁ける
のか」。人間ではなく国を裁く時でさえも、「裁く国の事情」に引きずられ、事実を事
実として見ようとせず、本当に正しく審議しないということがあるのではないか。
第二次大戦の勝者であるアメリカ人が作った「十二人の怒れる男」という映画は、東
京裁判やその前に行われたニュールンベルグ裁判に対する、彼ら「裁いた側」の反省が
込められている、と見ることもできる。その意味で、この映画はフェアーを尊重するア
メリカ人(ハリウッド)らしい映画といえるだろう。
「人間は結局、真理に行き着けないのではないのか」という、人類永遠の疑問・諦め
に対し、アメリカ(映画)と日本(映画)では、異なる結論を提示しているのが面白い。
(真実に行き着くことはできない、と)建築家は決して諦めない。真実を追究する意志を
放棄せずによく話し合えば、今、ここで必ず真実は見えてくる、と懸命に努力する。ア
メリカ人の中には、こういう人間がたまにいるものだ。彼を中心に人々の心が次第に変
化していく。その間の手に汗握る人々の討論、やり取りの凄まじさは、まさにアメリカ
映画。エキサイティングでドラマチックである。
一方、日本映画「羅生門」では、「時間」を持ってきている。
春夏秋冬という季節の変化のなかで、木や草の色、姿・形、匂いも変化する。春の山
は萌木色、夏には濃い緑、秋には紅葉し、冬には枯れたり雪で真っ白になる。風の匂い
やその肌触りも四季折々で違う。この日本の四季と同じで、人の心もまた、長い時間の
中で変化していく。人間の常識や価値観というものも、季節(自然)の変化と同じように
変るもの、という意識は、数万年の長きにわたりこの国に住んでいる私たち日本人の身
体に、無意識の記憶となって染みついている。川のようにゆっくりと流れる時間を意識
して日々の生活を営んできた日本人には、時間という神がいる。季節を決めてくれる「
時間に心を委ねる」ことができるのが日本人なのだ。
武道家であった黒澤は、人間が必死になって戦う(議論する)真剣勝負の大切さをよく理
解すると同時に、戦う二者以外の「存在」についても、強く意識していた。なにしろ、
日本には時間の神を含め「八百万の神々」が存在するのだから。
黒澤は映画「羅生門」で、木こりに抱かれる赤ん坊に神を象徴させることで、時間の
淘汰による正しい判断(真実)に期待した。日本人らしい静かなる結末によって、この物
語(事件)を締めくくることにしたのである。
○「羅生門」は、1950年のヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した。
そして、それから30年後の1982年、今度はヴェネチア映画祭50周年記念行事で、歴代グ
ランプリ作品中最高の作品(獅子の中の獅子・栄誉金獅子賞) に選ばれた。
○  2001年、国際バレーボール連盟は、この百年間で最も活躍したチーム(二十世紀最優
秀チーム賞)に、1964年のニチボー貝塚(東京五輪日本チーム)を選んだ。
これら2つの事実は、まさに「時間という証人」の存在を示しているといえよう。
「ハリーの災難」1956年         監督 アルフレッド・ヒッチコック
この映画はヒッチコック版「羅生門」である。
「羅生門」で黒澤は、ひとつの殺人事件を巡り、それを目撃した人間たちの嘘をと
おし、「真実とは何か」という人類永遠のテーマを観客に投げかけた。
ヒッチコックは、映画「ハリーの災難」で英国人流に、このテーマを料理した。
美しい田園風景の中に転がる一人の男の死体。彼の名はハリー。この死体をめぐり、
四人の男女が繰り広げる「ドタバタ喜劇」という映画である。
「ハリーの災難」とは「羅生門」(1950年)のパロディなのか、はたまた、東洋の巨人・
黒澤明(の提議したテーマ)に対する、西洋の巨匠ヒッチコックの(真面目な)挑戦なのか

事実として死体はある。
だが、この死体という事実をめぐり、いま生きている人間が様々な悲喜劇を引き起こ
すというだけのこと。「真実の追求」など、どうでもいいことなのだ。
英国人はみな自分のことで忙しい。人の死など、回りの人間からすれば、何かに利用
する道具でしかない。乞食は死体が履いている靴を失敬し、医者は商売に利用し、坊主
は死体をお布施に変える。死体の前妻であった女性でさえ、次の男と再婚する法律上の
手続きのために、前夫が間違いなく死んでいるという事実だけが重要であって、それが
わかればもう、その「物」に興味はない。
事実(死体)とは、そこに居合わせた者たちによってその場で合意されれば、土に埋め
てしまう(真実として確定する)だけのこと。その死にどういう事情があったのか、あと
で議論することなど英国人にとっては時間の無駄。昨日の死体より今日のクリケットの
試合の方がよほど重要なのだ。
そして、埋めてしまえば、死体は死体でさえなくなる。「死んじまったものはしょう
がない」。「真実」とはそんなものですよ、と。
これが英国流ジョンブルの考え方なのである。
四人が何度も死体を埋めたり掘り返したりする。それが死人である「ハリー」にとっ
て災難というわけだが、ここにも「真実というものの困った性格」を、ヒッチコックは
暗示している。
つまり、「真実の追求」のために死体(過去)をいじくり回す愚かさを、見せているの
である。
この映画の宣伝のために、わざわざヒッチコックは来日した。
「羅生門」を作った国に対する彼の思い入れがわかるではないか。
武道家黒澤明 ② 真実を知らなければ勝てない
武道家黒澤明
② 真実を知らなければ勝てない
武道とは、一対一の真剣勝負。そこで勝つには、相手の虚と真実を見分ける力が必
要だ。相手が(フェイントではなく)真剣に技を仕掛けてくる瞬間に、それを切り返す。
自分が攻撃しない「虚」の状態でいながら、一瞬で「真」となって攻撃する。
武道では、一つの行為の中に嘘と真実の両方があり、あからさまな嘘がない。それを
実体のない虚とするか、実質的な攻撃にするかは、戦う二人の間の「場と間合いとタイ
ミング」にかかっている。
そして、目に見える動きだけでなく、その裏にある心の動きを知るために、武道家は
自分の心を鏡面のように磨いておかねばならない。
目に見える現実とその裏にある事実。この両方を知ってこそ、事実は真実となる。人
間は人間となることができる。それが武道家黒澤明の人生観であった。
黒澤の映画には、見た目の「面白さ」と、その裏にある「面白み」がある。奇想天外
な時代劇でも純文学的な作品であっても、決して現実の世界から離れていない。いま私
たちが生きている社会の真実(裏と表)を「映画という娯楽」にして人々に知らせてく
れる。これが黒澤映画なのである。
「生きる」1952年 日本版「罪と罰」Ⅲ
「生きる」1952年 脚本 黒澤明・橋本忍・小国英雄 日本版「罪と罰」Ⅲ
「人みな生を楽しまざるは死を恐れざるが故なり」「死を恐れざるにはあらず,死の
近きことを忘るるなり」「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々
に楽しまざらんや」(徒然草 第九十三段)
ある市役所の職員(渡邉さん)が、勤続三十年のあいだ失っていたファイティング・ス
ピリッツ(戦う心)を取り戻し、お役所仕事の呪いと死の恐怖を取り払い、本当に人間と
して生きる道を見つけて死んでいく、という物語。生きる屍(魂の死んだゾンビのよう
な生き物)が、余命半年という人生の土壇場になって、ようやく人間になれた。題名
は「生きる」だが、実際には魂の死んだ人間ばかりが登場するのがこの映画である。
手塚治虫の漫画「どろろ(1967年)」や、テレビ漫画「妖怪人間ベム1968年(早く人間に
なりたい!)」は、この映画からヒントを得たのではないだろうか。
主人公が五十歳を過ぎてから、真の人間とは何かに気ついたという点では、前作「
醜聞」の弁護士とこの市役所の職員は同じ。そして彼ら二人は、心のきれいな少女によ
って心の大切さ・安心所(あんしんどころ)を見いだしたという点で、ドストエフスキ
ー「罪と罰」の主人公ラスコールニコフと、仲間である。
だが、大学の日本拳法部のように、毎日殴り合いをしている人間にしてみれば、胃癌
だの死の恐怖がなければ生きがいを見つけられないというのは、「贅沢に過ぎる」。殴
られる痛みで「生きている実感」など、十分得られるのだから。さらには、気の利いた
パンチの一発でも相手の顔面にぶち込めば、なお自分と他人の存在が自覚できる。そも
そも二時間ヘトヘトになるまで身体を動かせば、身も心も空虚になり、そのあとの煙草
の一服ほど満たされた気分にしてくれるものはない。
この映画に見る公務員とは、タコが自分の足を食うようにして、自分の魂を食い潰し
ている。積極的とか自主性という以前に、人間としての自我を捨て、魂の火を消して、
禅寺の坊主のように、無にならなければならないらしい。
サンマやイワシの稚魚が群れで生きるのと同じで、数の力で自分たちを大きく見せて
身を守る。ではいったい、彼らの敵は誰かといえば、「鬼畜米英」でも「嫌韓」でもな
ければアルカイダでもない。日本の公務員の敵とは、公務員以外の日本人、つまり民間
人(納税者)なのである。
 民間人からお金を集め、その対価として様々なサービスを提供するはずが、この映画
を見る限り、集めた税収の十分の一くらいしか還元していないらしい。「一時間ででき
る仕事を一日かけてやる」というのは、それを意味している。そのため、彼らにとって
最も大切な公務とは、彼ら身内の秘密を全力で守ることにある。
 映画で助役たち公務員が感じている「うしろめたさ」とは、ひとり「渡邉さん」に対
するだけではなく、彼らの日常における、より深い罪の意識に対する「懺悔」なのだ
ろう。
 何かに守られて安穏とした人生を送りたい、という願望は人間だれもが持つ願望だ。
国家という殻に守られた公務員になるか、神に見守られた乞食で生きるか。社会的な評
価は異なるだろうが、生き物としての在り方は同じなのである。
「渡邉さん」はいい人だった。だが、彼は市民のためではなく、自分の生きがいのた
めに働いた。その自己中心的な行動が、公園の回りに住む住民に喜ばれ、選挙を控えた
代議士や助役に利用されただけ、という見方もできる。黒澤がこの映画で意図した
のは、むしろ、公務員が自分のために税金を使う恐怖なのではあるまいか。
「七人の侍」 1954年 誰が最後に笑ったか
「七人の侍」  1954年 脚本 黒澤明・橋本忍・小国英雄     誰が最後に笑ったか
春。ある山奥の村。秋になると山賊(野武士)がこの村を襲いに来るという話を聞いた
村人たちは、「毒を以て毒を制す」のごとく、別の野武士を雇って山賊と戦う決意を
する。
最大の見どころ
野武士の襲撃を知った村人たちが広場に集まり、途方に暮れ、泣き伏している。
「神も仏もねえだよ」「年貢だ賦役だ戦だ、水飢饉だ。そのうえ野武士(山賊)だ」
「神様は百姓なんぞ死んじまえとよ」「本当だ。死んだ方がましだ」「諦めて、黙って
山賊にも年貢をやる(税金を払う)しかねえ。長いものには巻かれろだ」
「そうだ!   代官所に頼もう。年貢取り立てるばかりが能じゃあるめえ。代官所になんと
かしてもらおう」
これに対して、全員が「駄目だ、駄目だ」と手を横に振る。「代官所のすることは
わかってる。野武士がいなくなってから大きなツラして焼け跡見物するだけだ。」
全員「そうだ、そうだ。役人は何の役にも立たねえ」「いっそ、全員で首をくくって
死んでしまおう。そうすれば、役人がビックリして飛んでくるだろう。」   涙、涙。
この絶望こそが、この物語の原点。役人は野武士と同じくらい冷酷に税金を徴収する
くせに、いざという時には頼りにならない、というのである。そこで、村の長老に相談
すると。「町へ行き、腹を空かした別の野武士(任侠)を雇い、自分たちで山賊と戦おう
」ということになる。黒澤が「七人の侍」で描こうとしたのは、弱きを助け強気をくじ
くという、「日本の任侠」があるべき、本来の正しい姿であったのかもしれない。
同じ武士でも、金の計算ばかりの役人武士と、ガッツのある体育会系武士と二種類
ある。
1849年ペリー艦隊という「海賊」が日本を襲った時、「幕府のサムライ」はおろおろ
するばかりで何もできず、結局、アメリカに脅されて不平等条約を結ばされた。百姓町
民は絶望し、在野の武士たちは怒った。その絶望と怒りこそが、薩摩や長州という「野
武士」による倒幕運動の原動力になった。
 映画のラストで、良い野武士(任侠)はこう言う。「勝ったのは百姓たちだ」と。 
 だが、果たして本当にそうだったのか。悪い野武士は全滅したが、一方で、「自分で
は戦わない」役人武士は相変わらず、年貢だ賦役だ戦争だと、過酷な「義務」を村人
に吹っ掛けてくるだろう。やはり、「最後に笑うのは役人」なのではあるまいか。
黒澤映画の中でも、とくにこの「七人の侍」が欧米人に好まれるのは、「全編これ
戦い」がテーマだからだ。若い武士と村の娘との恋にしても、親爺と娘の「戦い」が軸
になっている。欧米人はかつてのペリーと同じで、金でも恋でも、戦って奪うものとい
う心理的な前提で行動している。ただ、百年前に比べると、彼らのやり方はかなり巧妙
になっていて、「協力・援助・友達」といいながらアジアから奪う、というスタイルで
はあるが。
 この映画のもう一つの見どころは、俳優左卜全の演技だろう。黒澤はそれまで「醜聞
」や「白痴」でこの俳優を脇役として使用していたが、「七人の侍」で、あらためて
左卜全の特異な演技力を見いだした。1957年に公開された映画「どん底」は、彼のため
に作った映画といってもよい。この映画では、主役であるはずの三船敏郎を左卜全が
完全に「食って」いる。なにが凄いといって、「泣きながら笑う。笑いながら泣く」と
いう演技ができるのは、「虎の尾を踏む男たち」のエノケンと、この左卜全だけなのだ
から。
「生き物の記録」1955年  メビウスの輪
「生き物の記録」1955年   脚本 黒澤明・橋本忍・小國英雄  メビウスの輪
当時、第二次大戦の戦勝国アメリカやソ連・中国が、狂気のように繰り返し行ってい
た核実験。その恐怖から、七十歳の老人(中島喜一)は自分の工場を売り払い、家族全員
で南米へ移住することを計画する。これに反対する息子たちは彼を裁判所に訴える。裁
判所の調停委員(弁護士)は言う。「裁判所というところはね、犬も食わない夫婦喧嘩を
飯のタネにするようなところなんですよ」と。
裁判所の決定に不満を抱く老人は思い詰めて工場に放火し、終に精神病患者として入
院させられる。裁判所の調停委員という立場にある一人の歯科医が見た老人は、果して
本当に「狂人」だったのか。
精神病院の医者は、面会に来た歯科医にこう言う。「狂人というものはそりゃあ、み
んな憂鬱な存在には違いありません。しかし、この患者を見ていると、正気でいるつも
りの自分が妙に不安になるんです。狂っているのはあの患者なのか、こんな時世に正気
でいられる我々がおかしいのか、・・・」
ラストの場面。
喜一と面会を終えた妻・息子・娘達、しばらくして歯科医も一人で、病院の階段を降
りてくる。彼らはみな「狂人」になった喜一に絶望して彼から離れていく。
しかし、若い女性に背負われた赤ん坊(孫)は、これから老人と面会する為に階段を登
っていくではないか。
「生き物の記録」という題名が示すように、この映画におけるテーマは「記録」で
ある。今、この老人は「狂人」かもしれない。しかし、この赤ん坊が大人になったとき
、彼の考えはどう評価されるのだろうか。その時のために、今ここで、この老人の言動
を記録しておこうではないか。つまり、この映画は、黒澤明が、社会人として失格した
人間を一匹の生き物としてとらえた記録なのである。
ここで私たちは「羅生門」のラストを思い出す。そこにも「赤ん坊」がいた。だが、
「羅生門」と「生き物の記録」の赤ん坊とでは、その役割がちがう。
 「羅生門」の赤ん坊とは、あの殺人事件とは無関係である。赤ん坊はいまの時代に
起こった事件の真相を、後世、正しく検証してくれる可能性の象徴である。時間という
神が過去の出来事を正しく評価してくれる、という確信である。
ところが、「生き物の記録」における赤ん坊とは、喜一の引き起こした騒動と決して
無関係ではない。
もし、この赤ん坊が喜一と同じ老人になったときに日本が放射能で汚染されるような
事態になれば、この赤ん坊は「未来における被害者」であり、喜一老人は「過去におけ
る被害者」であったということになる。 彼を狂人として精神的に追い込んだ者たちの
方こそ「狂っていた」ということなのだから。
つまり、「生き物の記録」における赤ん坊とは、将来における(原子力問題の)当事者
そのものなのである。
黒澤明がこの老人を狂人と思っていないことは、工場の慰安旅行の写真をみれば明ら
かだ。そこに写った家族や工員たちとなごむ喜一の姿は、決して「狂人」のそれでは
ない。黒澤は、この写真を家族が見る場面を作ることで、観客にそれを伝えているので
ある。
 喜一は、この時代・この社会では狂人であったかもしれないが、生き物としての本能
からすれば、きわめて正常ではなかったのか。
 だが、この判定ばかりは「時間の神」に委ねるわけにはいかない。「羅生門」の殺人
者は人間だが、放射能の寿命はほぼ永久なのだから。
「どん底」(1957年)  魂の掟
「どん底」(1957年)脚本 黒澤明・小国英雄      魂の掟
秋の夕暮れ時。ゴーンという鐘の音と共に、坊主たちが寺のゴミを崖の下へばらまく
。「どうせ下はゴミためさ」と言いながら。その下にあるのが、この映画の主人公たち
の住む長屋。
寺は貧乏人を救わない。この厳しい現実から物語は始まる。
「どん底」といって、確かにこの映画の主役は貧しい人たちだが、彼らの本性はどこ
にでもいる人間のそれと同じだ。黒澤は社会の最低辺に住む人々を描きながら、人間の
本質を見ている。つまり、人間は誰でも嘘つきである。自分ををごまかすための嘘、人
を貶めるための嘘、自分をよく見せようとする嘘、等々。毎日、人と自分に嘘をついて
生きている。宗教など笑いとばす長屋の住人の中で、巡礼こそが一番の嘘つきだし、何
よりも「世論」というものこそ、いつでも嘘ではなかったか。
冷酷でがめつい大家と、この亭主を殺したいと願う、さらに冷酷で貪欲な妻。長年連
れ添った女房の死を願う亭主。売春婦をしながらも、純粋な心を忘れない夜鷹。過去の
栄光にすがる元殿様。人生とはイカサマ博打と達観している博打打ち。金持ちを軽蔑し
、貧乏人には優しい男気のある泥棒。長い役者人生で、自分のセリフ(人生)を忘れて
しまった元役者。生真面目な駕籠かき。過去に人を殺しかけたことのある職人。「過去
」のある巡礼。
彼ら「悪人ども」はしかし、みな魅力的だ。なぜなら、格好をつけていないから。正
直で純粋な魂をそのまま発散させている。だから、すぐ喧嘩になるのだが、彼らのつ
く嘘とは正直者の嘘であり、嘘にも心がこもっている。「生きる」に登場する助役のよ
うな、頭で考える計画的な嘘ではない。
親鸞は言った「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」と。偽善者でさえ天国へ行
けるなら、真に善人である「悪人」が行けないことはない、と。
映画のラスト。宴会の真っ最中、元役者が首を吊ったことを知らされた博打打ちがこ
う言う。「ちぇっ、せっかくの歌を台無しにしやがって(バカヤローめ)」。
どんな弔辞やお経よりも心に沁みる「弔いの言葉」がここにある。この言葉で、役者
は天国へ行けたに違いない。
この映画の原作であるゴーリキーの「どん底」で、韃靼人(タタール人 イスラム教徒)
はこう言う。「魂の掟がなければ、人は正しく生きていけない」と。人間は何らかの心
のつっかえ棒がなければ、生きていけない。しかし、キリスト教やイスラム教の「つっ
かえ棒」とは、「嘘も方便」という仏教とちがい、先ず真実を理解すること。イエス・
キリストが惨殺されたという現実を直視するところから、キリスト教は始まっている。
武道家黒澤明の場合は少しちがう。自分をごまかさず、自分と戦うことで精神を鍛え
、自分自身の魂の掟によって強く生きるべし。これが武道で鍛えた黒澤の答えであった

元役者にとって、巡礼は心の支えだった。実在しようがしまいが、アル中の自分を救
ってくれる場所がある、という巡礼の言葉だけで安心できた。ところが、巡礼が姿を消
すと共に、その夢も消えてしまった。
「嘘による安心」の味を覚えた者は、それがなくなれば自分の存在も消えるしかない

映画「羅生門」も「どん底」も、ともに人間の純粋で弱い心をテーマにしている。嘘
ばかりの世の中で、どう嘘とつき合って生きていくか。
「蜘蛛巣城」1957年   強すぎた日本
「蜘蛛巣城」1957年 脚本 小国英雄・橋本忍・菊島隆三・黒澤明  強すぎた日本
 勇猛果敢な戦国武将 鷲津武時は、自分の主人を殺して蜘蛛巣城(くものすじょう
)の主(あるじ)となる。しかし、「強いが故に弱い」この男は、肉体の強さに精神の強
さが追いつかずに、最後は自滅する。まるで大正・昭和の日本である。
 ストーリーは「マクベス」そのものだが、「蜘蛛巣城」という映画は、三船や山田五
十鈴の至高の演技によって、日本人(の強さと繊細さ)が強烈に描き出されている。
黒澤映画では、むしろその原作・原案が西洋文学でない場合に、それら古典文学のテ
ーマを見ることが多い。たとえば「素晴らしき日曜日」「醜聞」「生きる」「悪い奴ほ
どよく眠る」といった映画には、ドストエフスキーの「罪と罰」の思想が盛り込まれて
いる、というように。
 
強いだけでは勝てない
見よ 妄執(もうしゅう)の夢の跡
魂魄(こんぱく)未だ住むごとし
それ執心の修羅の道
昔も今もかわりなし
 
 この歌とともに、霧の中から現れる「蜘蛛巣城跡」と書かれた木のモニュメントは、
まさに広島の原爆ドームを思い起こさせる。
「昔も今もかわりなし」というように、昔から何一つ変わっていない、権力という妄
想にとりつかれた者たちへの絶望を、この映画は暗示している。明治以来、日本が経験
した数々の戦争を振り返り、自衛を超えて侵略戦争にした日本のインテリたちが繰り返
す「修羅の道」を、黒澤は見たのである。
 鷲津は戦に強かったがゆえに、敵の侵略から国を守る(自衛する)ことができた。そ
してその功労により、第一の家来として主君に可愛がられた。ところが彼は、その類ま
れなる強さに由来する傲慢と臆病から、自分の主に反抗してこれを殺した。
 昭和の初め、日本の「鷲津たち」もまた、自分らに「侵略戦争のやり方」を教えた「
主君」米英に対する傲慢と恐怖から、これを討たんとした。
大義名分を失った日本
 かつて日本は、米英に操られて朝鮮半島に侵略した清帝国と戦い(日清戦争)、日本海
の支配権を巡ってロシアと戦った(日露戦争)。
ところが、その次に日本は、近代戦争の教師であった米英に反抗し、更には西欧列強
が浸食していた中国や、オランダが侵略していたインドネシアにまで手を広げたため、
「自衛」という大義名分を失ってしまった。アジアの国々にとって日本は解放者だが、
欧米諸国にとっては、自分たちの利権を侵害した「侵略者」であったのだ。
鷲津だけが正しいと思っても、傍(はた)から見れば、主君の恩義を忘れた謀叛の徒
、悪者・狂人と見なされ、他の武将から総攻撃を食らう。昭和の日本もまた、「悪」の
烙印を押され、世界中を敵に回し、最後は進退窮まり自滅した。
 太平洋戦争末期、日本全土でいくら情報統制が行われ、軍人や役人が国民の目を欺こ
うとしても、人々は知っていた。これは負け戦だな、と。鷲津の家来たちのように、戦
争末期の日本国民は、疑心暗鬼で殿様(役人)を見ていたのである。
 鷲津とは、池に飛び込む前の姿三四郎である。有能だが道を知らない。
「悪いやつほどよく眠る」 1960年   悲劇と喜劇
「悪いやつほどよく眠る」  1960年 脚本 小国英雄・久板栄二郎・黒澤明・菊島隆三 ・
橋本忍  悲劇と喜劇
日本の伝統
 1945年の終戦から、この映画が作られた時点までの間だけでも、Wikipediaで調べ
れば、多くの瀆職(とくしょく)・疑獄事件が起きている。1948年の昭和電工疑獄事件、
1954年の造船疑獄事件、1958年のグラマン疑獄事件等々。
 日本における官庁と民間企業の汚い関係というのは、決してなくならない。社会がそ
ういう仕組みになっているからだ。アメリカのように、(財閥が掌握する)民間企業が
政治・経済・軍事・マスコミ(つまり国家そのもの)を完全に握っている社会では、「
疑獄」など起こりようもない。
太平洋戦争終了後、天皇に代わって日本の神となった占領軍は、日本をアメリカ並の
民主主義(民間企業が国家を動かす)にすることもできた。だがそうすれば、日本は瞬く
間に民間企業が成長し、今度は経済を武器としてアメリカに反抗するのは間違いない。
そこで、日本の民間企業を弱体化させ、逆に役人・官庁の権力を温存・強化したので
ある。
壮大なる茶番劇
瀆職(とくしょく 公務員が私利私欲のために職責を汚すこと)とは、主に上級公務員が
計画的に行う犯罪であるが、「悪い奴ほどよく眠る」に見る如く、彼らはこれを罪とは
考えていない。ドストエフスキーの「罪と罰」という小説は、当時のロシアの役人・イ
ンテリがもつ、この高慢な意識(公務員は何をやっても犯罪にならない)がテーマで
ある。
 映画のラストで、公団の副総裁岩淵は「黒幕」からの電話に、こう受け答えをする。
「岩淵です。わざわざどうも。ハハ、これで何もかも。ハ、ハ、本当にご心配をおかけ
いたしまして。ハ、ハ、つきましては私の一身上のことでございますが、この際、公団
のためにも身を退いた方が。ハ? 一時、外遊? ハ、ハ、私もそのように考えて。そ
の後の身の振り方につきましては、何分よろしくご配慮を。ハ、ハ、では、お休みな
さい。ハ? いや、これはどうも・・・なにしろ、昨夜は一睡もしなかったものです
から、つい夜昼をとりちがえまして。ハハハハ・・・じゃ、これで失礼致します。」
そうして、岩淵は電話に向かって深々と頭を下げる。
 電話のこちらの世界では、嘘と殺人、家族の崩壊といった悲惨なドラマが繰り広げら
れている。日本政府の高官・代議士でさえ、いつでも何かに怯えてビクビクしているに
もかかわらず、本当に悪い奴は電話の向こうで、「これからゆっくり眠る」ところだ。
 この時、日本は昼頃である。では、いったい電話の向こうは何時なのか。
 岩淵は「夜昼をとりちがえた」のではない。電話の相手はまさにこれから眠る時間な
のだ。だからその前に、「外遊」というヒントを黒澤は残したのである。
日本の悲劇は、海の向こうの人間にしてみれば喜劇であり、精神安定剤でもあるのだ
ろう。
絶望の底で何を見るか
この映画のあまりにも悲劇的な終わり方には、誰もががっかりする。結局、善は悪に
勝てないのか、と。
しかし、武道家黒澤の狙いはそこにある。すなわち、打たれて叩かれてぶちのめされ
、絶望のどん底に落ちてこそ、今まで見えなかったものが見えてくる。現実を正しく知
ることができれば、前向きな発想で正しい道を歩むことができるのだ、と。
黒澤が見せた悲惨な結末とは、本当に絶望しなければ本気になれない日本人へのエー
ル(応援)なのである。
「用心棒」 1961年  国家というヤクザ
「用心棒」  1961年 脚本 黒澤明・菊島隆三  国家というヤクザ
絹と酒で生計を立てる、人口数百人の小さな宿場町。そこでは、二人の金持ち(絹問屋
と造り酒屋)が、それぞれヤクザを用心棒として雇い、対立していた。今度はそこへ、
並の用心棒よりも数倍強い用心棒が現れたことから、事態は凄惨な結末となる。
用心棒に扮する三船敏郎の芝居のうまさに見とれ、その裏にある映画の真実(黒澤明の
言いたいこと)を見逃してしまう、というで点は「蜘蛛巣城」と同じ。「徒然草」の文
体に見とれてその真意を吟味できない、ということか。
ベトナム戦争(1960〜1975)の行く末を予言した黒澤
インドシナ半島は、1945年に小国家ベトナムが独立すると、北ベトナムにはソビエト
・中国が、南ベトナムには、アメリカ・韓国・オーストラリアという大小のヤクザが来
て戦争を始めた。
住民はほとんど蚊帳の外。ヤクザ(外国の軍隊)同士の殺し合いで、ベトナム人の家は
焼かれ、いたるところに枯れ葉剤がまき散らされた。外国人が自分たちの庭に来て、勝
手に殺し合いをし始め、多くの民間人まで巻き込んで殺し、国土を荒廃させたのである

映画「用心棒」の宿場町も、地元ヤクザの小競り合いならまだよかったものを、三船
敏郎扮する凄腕の「助っ人」と、最新兵器(拳銃)を使う卯之助という二人の「外国人」
が参入することで、多くの人間が死に、絹問屋一家は皆殺し、酒屋の主人も惨殺され、
放火略奪で街はぼろぼろになる。
しかしまあ、これで悪が消えてすっきりしたのかといえば、とんでもない。この街を
管轄する奉行所の役人自身が、ヤクザや金持ちから金を巻き上げる一番大きなヤクザ
なのだから、悪が消えるわけが無い。奉行所に金を貢ぐ次のヤクザが、すぐに登場する
だろう。
名言集(黒澤の予言した現代)
「用心棒にもいろいろある。雇った方で用心しなきゃならねえ用心棒もある」
強い用心棒とは、雇う側にとっても恐ろしい存在である。ベトナムという国は、アメ
リカという用心棒を雇った(無理やり雇わされた)がために、国がメチャメチャになって
しまった。この「用心棒」は、さんざん他人の土地で争いを大きくし、憎しみ合いをエ
スカレートさせて混乱させ、あとは知らんぷりで去っていく。今の日本も・・・。
「近頃の若い者はみんな気が狂っちまっただよ」
「気が狂ってるのは若い者ばかりじゃねえ。どいつもこいつも楽して儲けることしか
考えねえ。みんな博打(株・為替投機)のせいだ。さいころひとつで人の物がてめえの物
になる。挙げ句の果ては人の物も自分の物も見境がつかねえ。」「血の匂いをかいで腹
の減った野良犬が集まってきやがる。(外資系の証券会社)」
「口利き料は一両だぜ」
お巡りさんが、用心棒の斡旋(紹介)をしている(警察官OBが警備会社を経営)。
「馬鹿野郎! 博打打ちが仲直りすんのは、もっと大喧嘩するためだ。早い話が仲直り
して、もっとでかい喧嘩の種を育てるんだ。博打打ちの仲直りほど物騒なものはねえん
だぞ」
宿場のヤクザ同士が休戦協定を結ぶという話に喜ぶ飯屋の親爺に、三船敏郎がこう言
う(大国同士の平和条約とは、ヤクザの手打ちと同じこと)。
「天国と地獄」1963年 だれが天国へ行けるのか
「天国と地獄」1963年 脚本 黒澤明・菊島隆三・久板栄二郎・小国英雄   だれが天国
へ行けるのか
一流会社の重役である権藤の息子と間違われ、その運転手の息子が誘拐された。要求
された身代金を、権藤は銀行に借金して支払う。結局、犯人は捕まったが、権藤は家を
銀行に取られ、会社も追われた。だが、彼は新しい会社で信頼され、家族に愛され、社
会からも祝福されて、再び天国への道を目指す。サスペンスとして超一流であるが、純
粋な人間の心と不条理な社会の仕組み。その狭間で苦悩する被害者と加害者の対比が興
味深い。
○誘拐犯 医学生という超インテリでありながら、誘拐・殺人という犯罪を犯す。
○権藤を追い出した会社の重役たち 金儲けのためには安物(偽物)を売ってもかまわない
という、冷酷でモラルも道徳も無い、エセ(偽物)ビジネスマン。
○銀行 金を借りた権藤に対し、「期限がきたら、きれいにお支払い願います。もしそ
れができなかったら、契約通り、抵当物件は差し押さえます。世論はどうあろうと、誘
拐犯には金を出して我々には踏み倒すなんてマネはさせませんよ」と冷酷に金を取り立
てる。
○警察 犯人を死刑にするという目的で、マスコミを使った情報操作をして、わざと逮
捕せずに犯人を泳がし、彼に第三の殺人を実行させる。
犯人は、金(かね)以上に「幸せな人間を不幸にすること」が目的であった。彼が憎んだ
のは、(一部の)豊かな日本社会そのものであり、権藤はその象徴であったにすぎない。
人間としての権藤は、むしろ、純粋で真面目な人間(頑固な技術者)だ。犯人が口にし
た「私はね、親切な気持ちでうそを言われるより、残酷な気持ちで本当のことを言って
もらった方がいい」という言葉は、そのまま権藤の言葉でもある。
ただ、権藤が弱い者に優しかったのに対し、犯人は医者の卵でありながら、麻薬患者
を使って人体実験を行うといった冷酷な方向へその性格が向かってしまった。「野良犬
」で、同じ境遇の若者二人が、別々の方向に別れたのと、ある部分で似ている。
死刑になる前に教戒師を断り、権藤に面接を要求した犯人が最後に発した「クソ  !」と
いう、あの叫び声こそが、性格的に無知であった彼の権藤に対する謝罪だったのだ。
体育会人間権藤
体育会人間権藤
〇 ギャングと保安官に別れてゲームをする二人の子供に権藤は言う。「追われる側で
も逃げてばかりいちゃ駄目だぞ。うまく待ち伏せして保安官なんかやっつけるんだ。男
はな、やっつけるか、やっつけられるかだ」→ 武道家黒澤らしい戦闘精神。
○ 会社を追われ、銀行に家を奪われた権藤が、自分を裏切ったクール(冷酷非情)な元
秘書に向かって「俺はまだ、これからがいよいよ俺なんだ。お前はまだガキだ。お前と
いう人間になっておらん」と怒鳴る。→ もう駄目だ、という時にこそ真実が見える。
日本と韓国
ラストの場面における権藤と犯人の姿は、そっくりそのまま、日本と韓国の関係を表
している。犯人もそれほど不幸ではないはずなのに、楽しそうに見えるというだけで、
「金持ち」権藤の苦労も知らず、ただただ嫉妬する、拗ねて、ふてくされる。
権藤「君はなぜ、君と私を憎しみ合う両極端として考えるんだ。」
犯人「幸福な人間を不幸にするのは、不幸な人間にとって中々面白いことなんですよ」
権藤「君はそんなに不幸だったのかね。」
憧れが裏返しとなり、強い憎しみとなる。常に誰かを憎まなければこの世に存在でき
ない、という永遠の呪いをかけられた者は、やはり不幸なのだろう。
何も悪いことをしていない人間、むしろ権藤のように、本当に消費者のために良いも
のを作ろうと苦労している真面目な技術者(善良な人間)を苦しめることで快感を得よう
とする。自分を被害者にすることで安心感を得る。そのために、誰かを「加害者」にし
ようとする心理。
同じ半島国家でも、半島から逆に大陸を支配した古代ローマ帝国(イタリア)とはち
がい、2000年の長きにわたり属国として他国(中国・モンゴル・満州族・ロシア)の支配
下にあった国はこうなる、という「歴史の教訓」がここにある。
いっそのこと植民地になっていれば、こういう屈折した心理にはならない。へたに隷
属関係で生き長らえてきたところに、この国の不幸があるのだろう。
だが、これは人ごとではない。日本もアメリカやイギリスという欧米諸国の属国にな
ってから、早や70年。彼ら宗主国と緊密な関係にある役人・政治家は、独立国の格好を
するだけ、という韓国スタイルになっている。問題は、あと何年で日本の大衆も属国根
性に染まっていくのか、ということだ。日本人の心が属国化するとは、天国と地獄が同
居するようなものだろう。
「赤ひげ」1965年 黒澤映画と俳優
「赤ひげ」1965年 脚本 井手雅人・小国英雄・菊島隆三・黒澤明 黒澤映画と俳優
東宝はこの映画で、三船敏郎の次の看板役者として加山雄造を売り出そうとしたが、
如何せん加山では、他の監督ならいいが、黒澤映画の俳優としてはお話にならない。
「赤ひげ」の青年医師 保本登(加山雄造)は、高名な医師を父に持つ「親の七光」のボ
ンボン。そのわがままで苦労知らずの坊やが、三船敏郎扮する医師「赤ひげ」の元で、
様々な苦労を背負う患者たちに教えられて成長する、という、まさに加山にピッタリの
役どころなのだが、保本も加山もまるで成長しない。主役の三船も、脇役の根岸明美
も土屋嘉男も香川京子も山崎努も二木照美も三井弘司も左卜全も、全員が素晴らしい演
技を加山に見せている(教えている)のに、加山ひとり学んでいない。「加山雄造」とい
う役を演じるのに忙しくて、「保本登」という役になりきれないのだ。
黒澤映画の俳優たちは、わずか数カ月間の映画作りの過程で、演技がその役を突き抜
けてくる。「野良犬」で、木村功という、加山と同じく若くて二枚目の役者は、狂気と
純情を表現していた。ところが、この「赤ひげ」の撮影期間は二年間もあり、更にその
三年前の「椿三十郎」の若侍役の時から、役者としての加山には全く進歩が見られ
ない。自分で考えて工夫した跡が見られない。「どん底」で、役作りのために前歯を
すべて抜いた中村雁治郎のような迫力がない。画面を引っ張る力、観客を引きずり込む
強さがないのだ。
「隠し砦の三悪人」で、上原美佐という素人女優は、本当に美しい顔だちをしていた
。しかし、内面的にかなり努力したおかげで、お姫様の性格・気性・雰囲気が非常によ
く出ていた。
「時間よとまれ。いま君は美しい」とはファウストの言葉だが、加山は(親からもら
った)能面のような美しい顔のままで、時間(成長)が止まってしまったかのようだ。周囲
から甘やかされたせいで、強烈な緊張感・危機感を持つことができず、ついに役者とし
ての狂気を見ることができなかった。
黒澤学校の落第生
「天国と地獄」で、見事な運転手役を演じた俳優 佐田豊は、黒澤映画に出演すること
がいかに名誉であり、且つ重荷であったかについて、謙虚にこう語っている。
「あの役は私には重すぎた。撮影が進むうちにだんだんむずかしくなり、手も足も出
なくなった。息もできないくらい苦しかった。皆さんに迷惑をかけるのが辛くて死んで
しまいたい位だった。毎日、食事も喉を通らなかった。・・・私は黒澤学校の落第生で
すが、あの作品だけが私の一生の記念です。「天国と地獄」という作品がなかったら
、私の一生は何もなかった、と思います。」
これは、むしろ「赤ひげ」における加山の言葉であるべきだろう。
赤ひげの言葉
「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法など無い。医術などといっても情
けないものだ。医者にはその症状と経過は分かるし、生命力の強い固体には多少の助力
をすることができる。だが、それだけのことだ。」
「現在我々にできることは貧困と無知に対する戦いだ。それによって、医術の不足を
補うしかない。貧困と無知さえ何とかできれば病気の大半は起こらずに済むんだ。」
「病気の影には人間の恐ろしい不幸が隠れている。」
 真実から目を背けない、という武士の魂がなければ言えないセリフである。
「どですかでん」1970年   日本版マトリックス
「どですかでん」1970年 脚本 黒澤明・小国英雄・橋本忍   日本版マトリックス
主人公の六ちゃんは、もう高校生くらいの歳なのだが、学校へ行かず、毎日、六ちゃ
んしか見えない路面電車を運転して街を走る。さて、今日はどんな景色を見ることやら

黒澤映画のなかでは、唯一「戦い」のない映画(その所為か、黒澤映画に常連の三船敏
郎が出演していない)。恋人・夫婦・親子・老いという、よりプリミティブ(素朴)な世界
を淡々と「絵にして」いる。役者の口から言葉でなにか言わせるというよりも、絵(色)
でそれを表現している。映画ではなく「絵画(えーが)」という感じだろうか。
たんばさんという篤志家(人徳者・長屋の長老的存在)は、フランスの小説「レ・ミゼラ
ブル」のミリエル司教がモデルになっているが、この老人の家の壁の色は白。教会のよ
うだ。職人の父親と子供たちがいる空間は、温かい心を反映しているし、哀しい過去を
背負った中年男のそれは、暗く寒々しい。そして、六ちゃんの家の中は、もちろん明る
い色で一杯、夢の世界のようだ。
唯一、黒澤が怒りを表明しているのは、「インテリが子供を殺す」ということ。乞食
の子供は、乞食であることに不幸ではなかったが、父親の知識によって殺された。また
、難解な言葉を振り回す義父は、娘の魂を殺した。彼らインテリよりも、飲んだくれの
八つぁんや熊さん、無学でも心優しい父親や優しい心を持つ老人の方が、ずっと心ゆ
たかに楽しく生きているではないか。
ヴィクトル・ユーゴー作 「レ·ミゼラブル」序文
「法律と風習があるために、社会的処罰が存在し、文明のただなかに人工的な地獄を
つくりだし、神意による宿命(自然な運命)を人間の不運でもつられさせているかぎり、
また貧乏のための男の落伍、飢えのための女の堕落、暗黒のための子供の衰弱という、
現世紀の三つの問題が解決されないかぎり、またあちこちで社会的窒息が起りそうであ
るかぎり、言葉をかえてもっと広い見地に立って言えば、地上に無知と悲惨がある以上
、本書のような性質の本も無益ではあるまい」
トレイン・マンとは六ちゃんだった  !
アメリカ映画「マトリックス(1999年)」では、現代人の見ている現実とは、仮想空間(
マトリックス)のことであり、ネオやモーフイアスという一部の人間だけが、真実と仮
想空間の間を行き来できる、ということになっている。
日本映画「どですかでん」では、六ちゃんだけが現実と仮想空間の間を「電車」で行
ったり来たりできる、(自分だけの)救世主なのだ。六ちゃんは子供たちからさえ、「電
車バカ」と呼ばれて、石を投げられたり、家の壁に落書きされたりしている。しかし、
彼の純粋な心とは、日本人にとって大切な魂の救済方法でもあるのだ。
「マトリックス」で、モーフィアスがネオに現実の世界を見せるが、それは「どです
かでん」で、六ちゃんが走る廃墟の街そのものだ。また、「マトリックスⅢ」に登場す
る「トレイン・マン」とは、六ちゃんと同じ「電車の運転手」である。つまり、黒澤映
画は三十年も前に、映画「マトリックス」の登場を予告していたのである。
「マトリックス」の救世主ネオは、人類のために、敵を殴って蹴って投げ飛ばす。彼
らは戦うことで真実を手に入れようとする。そして、「どですかでん」の我らが六ちゃ
んは、ただただ毎日、電車を走らせる(起きていながら夢を見る)ことで、一人静かに心
の安寧(安心)を手にしている。
「マトリックス」と黒澤映画
「マトリックス」と黒澤映画
マトリックスとは、それを見ようと積極的に意識する人間には見えるが、これに取り
込まれている受け身の人間には見えない。ネオやモーフィアスたちのような「覚醒した
・目覚めた人間」は、現実世界というものが何者かによって作られた幻想である、とい
うことを知っている。しかし、ほとんどの人間にはそれがわからない。
覚醒という言葉は、もともとは「釈迦が覚醒した(悟りを開いた)」と言うように、真実
・真理に目覚めたという、善なる意味で使われる言葉である。目覚めるがオーバーなら
、「知る」でもいいだろう。
アメリカン・インディアンには「(真実を)知った者は他の者に伝える義務がある」とい
う言葉がある。イエス・キリストは真実・真理を知ったがゆえに、それを人々に知ら
せた。黒澤映画も「マトリックス」も、映画という虚構を楽しみながら、同時に「真実
」を知ることができる映画なのである。
優しい日本人
「どですかでん」の六ちゃんが、まいにち電車で通る街には、悲しい事件や滑稽な出
来事という現実がある。ところがせっかくの現実を目の前にしても、彼にはそれが見え
ない。彼に見えるのは、絵に描かれた美しい夕日や星空、色とりどりの電車という「夢
」だけだ。それはまるで、「すぐ目の前にある真理の大海に気づかず、砂浜できれいな
貝がらを拾って喜ぶ子供」と自らを評した、ニュートンの言葉そのものであり、メール
や写真・ビデオ、ネットやテレビで喜ぶ、多くの日本人の姿でもあるのだろう。
一方、ひどい現実に悲しみ怒りながらも、心に夢と希望を失わなかった「素晴らしき
日曜日」の恋人たちのように、黒澤明という男は「坂の上の雲」を見つめながら、現実
という坂道を上り続けた、もう一人の日本人であった。
戦う「ハリウッド」
映画「マトリックス」の最後で、主人公ネオは電話の向こうの「誰か」に、こう話す

「この電話を聞いている(盗聴している)のは分かっている。お前たちは我々を恐れて
いる。変化を恐れている。この戦いがどんな結末を迎えるかわからない。だが、これか
らが本当の始まりなのだ。この電話のあと、人々に本当の世界を見せる。お前たちが支
配しない世界を。どんな規制も束縛もない世界を。・・・その先、お前たちはどうする
」と。
黒澤映画「夢」で、放射能という目に見えない毒に色をつけるという話がある。それ
を考え出した日本の役人がこういうことを言う。
「結局、色をつけたところで、危険であることに変わりはない。それが危険であるとい
う真実を知りながら殺されるというのは、知らないで死ぬよりも、よほど残酷だ」
アメリカの東部に反抗して西海岸へやってきた「ハリウッド」は、イエス・キリスト
と同じく、真実を見る能力・見せる義務を持つことを民族の誇りとしている。彼らが黒
澤明という男を尊敬するのは、彼が世界でも数少ない「戦う映画人」であったからだ。
イエスも「ハリウッド」も、ファイティング・スピリッツのある者だけが行くべきとこ
ろへ行けると信じている。真実を知って死ぬことは辛いかもしれないが、その先に待っ
ている場所が違うのだ、と。
六ちゃんのように「酔生夢死」するか。ネオのように真実と格闘して死ぬか。ある
いは、真実を見ながらも夢を忘れない武道家黒澤明のように生きるか。それは個人の選
択なのである。
黒澤の怒り
黒澤の怒り
黒澤映画と小津安次郎の映画で、なにが一番違うのかといえば、それは「怒り」で
ある。
黒澤映画には怒りがある。人間の持つ自然の「真・善・美、純真な心」は賛美するが
、「弱い者イジメ」をする人間や社会に対して、黒澤は強い怒りを抱いていた。それは
、子供に対する父・母・教師という存在も含めた、社会的立場を利用して人をだます、
強制的に従わせる人間のことだ。権力を利用して他人の名誉や尊厳を横取りする人間。
たとえば「どですかでん」で、インテリぶって子供をだまし、自分のために利用する父
親たち。「生きる」における市役所の助役たち。「白痴」で、純粋な人の心を弄ぶ金
持ち連中への怒りである。
黒澤はまた、同じ「ヤクザ」でも、任侠と「ごろつき」を区別していた。「七人の侍
」における、村を襲う野武士は「ごろつき」であり、村人(黒澤)の怒りの対象であるが
、助ける側の野武士は任侠であり、初めは山賊と同じ野武士だと村人から忌み嫌われて
いたが、やがて友好を深め尊敬の対象に変わっていく。
黒澤は、戦争には反対の立場であったが、女性的な「争いはいけません」ではない。
武道家の黒澤が、戦いを否定するはずがない。自衛のために戦う、自分を進歩させるた
めに自分と戦うという意味においては、むしろ積極的に戦うことをモットーとしていた

 戦争に対する黒澤の怒りとは、自分たちの政治的無能・経済政策の無策によって戦争
や災害を引き起こして国民を不幸にするインテリや、戦争によって金儲けをする者たち
に対して向けられていた。
黒澤明が「トラ・トラ・トラ」の日本側監督を降ろされたのも「怒り」が原因だ。黒
澤が真珠湾攻撃というものを、単にアメリカの言いなりになって映画にするわけがない
。「真珠湾攻撃とはなぜ引き起こされたのか」という歴史の真実を追求すれば、当然、
日本人黒澤には強い怒りが生じてくる。彼なら「ペリーの来航」までさかのぼって戦犯
探しをするだろう。そしてその真実を映画に盛り込もうとすれば、当然、「日本は卑
怯者」というイメージを作りたいアメリカの思惑と激突する。
東京オリンピックの記録映画にしても、「黒澤映画」にしたら、単なるスポーツの記
録映画ではなく、そこにうごめく人間の醜い欲望まで表現していただろう。なにしろ、
黒澤はリアリティ(真実)を追求する男なのだから、単にお仕着せの提灯映画など作るは
ずがない。ドイツのレニ・リーフェンシュタール同様、日本の黒澤明も、魂のある記録
映画を作れる映像芸術家である。
「怒れる男」黒澤明は、魂をもつサムライだったのだ。
武道家黒澤明 ③面白くなければ映画ではない
武道家黒澤明       ③面白くなければ映画ではない
武道家(サムライ)とはいえ、黒澤明という男は決して、日本の公務員のような面白みのない人間
ではなかった。
下町に育ち、紙芝居を見て、寄席で落語や漫談を聴き、大道芸人、見せ物小屋、浪曲・講談、そ
して無声映画を娯楽として育った黒澤は、人生の面白みや悲哀、人情の機微を知る「粋な男」で
あり、同時にまた、武道で鍛えた「体育会系・バンカラの気風」を持っていた。
彼の映画とは、どんなシリアスなテーマを持つ暗いムードの内容であっても、どこかに黒澤らし
い「こだわり」を見せている。それはまた、静的でありながらダイナミック、攻撃的でありなが
ら慎重な画面から醸しだされる「粋」であった。
だから彼の映画は、醜い社会の現実やどろどろとした人間の真実を描きながら、一流のアクショ
ンやサスペンス、楽しい娯楽映画となり、あるいは、透明な芸術的感性にあふれている。
いろいろな隠し味を持つ黒澤映画を楽しむには、「静的な躍動感」という面白みについても知っ
ておくべきだろう。
あとがきにかえて 黒澤映画とは
あとがきにかえて               黒澤明の「映画技術」
黒澤明の言いたかったこととは、結局は「日本と日本人」についてであった。
人間と社会全般についての深い考察が、日本人黒澤明の手によって「日本と日本人」
になったのである。
だから、日本人を語りながら黒澤は、世界を語っているともいえる。そして、その故
にこそ彼の映画は世界で高い評価を受けた。
黒澤明が映画に込めた情熱を知るとは、彼の映画技術を精神的な面から感じることで
ある。
黒澤映画は、人それぞれいろいろな楽しみ方ができるように、たくさんの見せ場が用
意されている。主役や脇役の見せ場、大道具・小道具、カメラや音楽や美術の見せ場
、等々。
そして、脚本家であり映画監督でもあった黒澤明。その最大の見せ場とは、なんとい
っても、真理の裏表の妙であろう。武道家黒澤らしい一瞬の気合いによって、見えるも
のを見えなくし、見えないものを見せる「技術」である。
剣道でも柔道でも日本拳法でも、最もむずかしいのが「相打ち」の判定だ。観客はも
とより、最も近くにいて、両者の呼吸を感じながら判定を行う審判でさえ、戦う二人が
同時に技を掛け合った時、いったいどちらの技が有効なのか、その判断に迷うことが
ある。大相撲では「同体」といい、しばしば審判四人が土俵の上で協議する場面が見ら
れる。
日本刀(の鋭利な刃)に象徴される武道(真剣勝負)では、その刃先ほどの鋭利な一点が生
死の分かれ目となる。技をかけるのがコンマ一秒早くても、遅くても死ぬ(自分が負
ける)。コンマ一秒・コンマ一ミリという、鋭い刃先のような刹那を制した(完全にコン
トロールした)者だけが勝者となるのである。
剣道に熟達した黒澤明という男は、この「日本刀の刃先」を映画に取り入れた。相撲
における「同体(相打ち)」を、映画のなかで意図的に行ったのである。虚構と真実、笑
いと悲しみ、娯楽と芸術、美と醜、善と悪。その境目の刃先のような「ギリギリ」のと
ころを映像にする、ドラマにする。これが黒澤独自の映画スタイルであり、だからこそ
、私は彼の映画を「黒澤映画」と呼ぶ。
黒澤の凄味は、知識や技術ではなく強力な精神力によって場の雰囲気を作りだし、
スタッフ全員を完璧にコントロールすることで、芸術家の無形の思いを、日本刀の刃先
のような鋭利な一点に「絵」として凝縮させた点にある。黒澤映画の映像の濃さ、重み
というのは、ひとえにこの精神的な集中力の賜物だ。
海外の映画のなかには、黒澤映画で見た「絵」を思い出させるものがいくつもあるが
、「日本刀の刃先」を感じさせる映画はない。技術は追いかけることができても、「武
道の気合い」「侍魂(さむらいだましい)」という無形の力を発揮するのは難しい。これ
こそが、海外で黒澤映画が珍しがられ、且つ尊重される理由である。三船敏郎の素晴ら
しい演技以上に、黒澤自身が映画に込めた武士の迫力が、世界中の人間の心を圧倒する
のだ。
自伝「蝦蟇の油」によると、黒澤は、日本のインテリと頭でっかちの映画評論家が大
嫌いだった。彼らが、心ではなく頭で映画をこねくり回し、本当は面白い映画や、ある
いは社会というものを「豊富な知識と教養」でこねくり回し、かえってつまらなくして
いるからだ。
朧月夜(おぼろづきよ)のように美しく温暖な気候の島国で、味噌や抹茶という和の風
味を味わいながら長いあいだ生きてきた日本人の心があれば、映画の知識や武道の経験
などなくても、黒澤映画に込められた日本人の思いを感じ取ることができるだろう。
2013年 12月3日 平栗雅人
平成二十五(2013)年  12月6日
公証役場( 横浜駅西口公証センター)確定日付取得