日本拳法純粋理性批判  平栗雅人

       20200813日(木)V.01.08

 

 

 

 

 

 

 

 

文字数

    11,759文字

公開日

    2020727 15:51

最終更新日

    2020813

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

 

目次                                                                              2

 1話 はじめに                                                                 4

 2話 「窓からの乗車はおやめ下さい」                                           8

 3話 大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その1                         14

 4話 大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その2                         19

 5話 大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その3                         26

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  はじめに

 

 この本は、拙著「思い出は一瞬のうちに」(20108月刊)第話「日本拳法の世界」で述べた「日本拳法純粋理性」を、より具体的に見ていくためのものです。

 「日本拳法の世界」では、日本拳法純粋理性から現実の社会(のある部分)を見る。そしてこの「日本拳法純粋理性批判」では、過去、私の周りで実際に起きた様々な出来事の中に日本拳法純粋理性を見る。

 つまり、日本拳法(の面突き)という特異な世界に没頭することで鍛えた純粋理性を双方向(帰納と演繹)の視点から検討(批判)することで「日本拳法純粋理性」の理解を深めていこうというわけです。

   

 *** 「真の芸術家には2つの役割(double functions)があると思いませんか ? 人生を芸術に生かし、芸術をもって人の世(社会)を批判する(正しく見る)。しかし、私たちは両方の役割を果たしているだろうか。芝居にばかり没頭して現実をなおざりにしていないだろうか。」ヒッチコック映画「殺人」(1930年)  ***

 

 この本の中に綴られたエピソード(話)とは、本来、私という人間が持って生まれた理性の働きによって引き起こされたり解決した出来事です。

 しかし、大学時代に巡り会った「日本拳法という純粋理性を鍛える世界」なくしては、理性をさらに純粋化し、且つ現実の世界で発揮させることはできなかった。そもそも、自分の内なる純粋理性というものを自覚することすら、難しかったかもしれません。

 

 たとえば、カントの「純粋理性批判」という本は、私の場合、大学時代の日本拳法という体験によって(ある程度)理解することができました。

 一般的な学問として、この偉大な著作を頭(知性)で理解できないのは仕方ないとしても、心(理性)で読む(心の鏡に反射して理解する)ことを可能にしてくれたのが、他ならぬ日本拳法(の面突き体験)であり、この難解な書の部分部分ではありますが、自分の生活や体験に引き寄せて読むことを可能にしてくれたのです。

 

 私が初めて岩波文庫版「純粋理性批判」を読んだ時。

 P.3838「純粋理性批判は、方法に関する論究の書であって・・・」

 

 P.3939「なおなさるべきことが残されている限り、何もかもまだなされていないと見なされる」

 

 これらの箇所から、私はこうメモしました。

 「哲学を学ぶのではなく、哲学することを学ばねばならない。(日本拳法で)一本を取ることよりも、一本を取るために全身全霊を投入し、恐怖の恥も見栄も捨て去って、この一瞬の中へ飛び込んでいく気迫を学ぶのだ。」と。

 

 これだけでは「カントの言葉と、私の言葉がどうつながるのか」意味不明(瞭)かもしれませんが、それを説明するには、更に一冊の本を書かねばなりません。

 

 とにかく、300年前に(しる)された偉大なカントの言葉は、現代に生きる卑近な私という、いち日本人の現実の心・思いとなってつながり、実際に私の生活や人生に新しい光を与えて見せてくれる。カントの言葉(心)を反射する鏡(理性)を磨いてくれたのが、大学時代の日本拳法(の面突き)であった、ということなのです。

 

2020727日(月)

 

平栗雅人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話 「窓からの乗車はおやめ下さい」

 

 それは、私が大学二年生、夏合宿に向かう日のことでした。

 

 早朝の上野駅に集合し、8時35分発の急行列車に乗り込んだ私たち十数名の部員は、防具の入ったバッグや自分の荷物を網棚にあげ、発車までの数分間、私はというと、ホーム側の席で窓を半分ほどあげてタバコを吹かしていました。

 すると、幹部の下田先輩(財務)が、苛立った様子でひとり、ホームをうろうろしています。「北崎(同じく幹部)がまだ来んのだ。オレが全員の切符を持っているから、全員一緒でないと・・・。」

(上野駅○番線ホームに集合ということでしたから、各自、自分の駅から上野駅までしか切符を買っていない。)

 そんなことを話している内に、発車のベルが鳴り始めました。

 

 

白い夜霧の 灯りに濡れて

別れ切ない プラットホーム

ベルが鳴る ベルが鳴る

さらばと告げて 手を振る君は

赤いランプの 終列車

(春日八郎 赤いランプの終列車)

 

「しかたがない。オレは北崎と一緒にこのあとの列車で行くから、この切符を持って先に行ってくれ。」と、全員の切符を私に渡します。

 ベルが鳴り終わり、ゆっくりとドアが閉まっていきます。

 

 ふと、後方を見ると、ビーチサンダルを履いた北崎先輩が、手を大きく振りながらこちらに向かって走ってきます。しかし、私の所へ来た時には、すでに列車は早足で歩く速度で動いています。

 私の周りに座る桜井・杉山・小松は「押忍、先輩、合宿所でお待ちします。」なんて、あっさり諦めムード。

 しかし、ここが「日本拳法という、ギリギリのところで勝負する精神」を日々鍛えてきた者の根性の見せ所(というのは卒業後4040年経った今思うことなのですが)。

 

 その瞬間、とっさにタバコを灰皿に押し込んだ私は、窓を押し上げました。当時の電車は、新幹線や特急以外は窓が開き、全開にすると横1メートル、縦5050センチほどの空間ができたのです。

 そして、北崎先輩のスポーツバッグをひったくる様につかむと、それを後ろの小松に渡し「先輩 !」と、声をかけました。

 北崎先輩は一瞬目を見開き「エェッ !」と驚いたあと、なぜかわかりませんが、ニコッと微笑んで窓枠に飛びつきます。先輩は身長155センチ体重50キロくらいですから、私一人で簡単に列車の中に引きずり込むことができました。

 

 次に私は、小走りで追いかけながらこの様子を見ていた下田先輩に向かって「先輩 !」と叫びます。意を決したかの如く、口にくわえたタバコをホームに投げ捨てた先輩は「おっしゃ !」と叫ぶや、列車の窓にしがみつきます。

 ところが、この先輩は重い。毎晩、巣鴨の飲み屋で幹部仲間と飲み食いしているので、太って80キロ位ある。私一人で先輩の胸の所まで引き入れることができましたが、下半身は宙に浮いて、ビーチサンダルを履いた真っ黒な足をバタバタやっている。列車の後方から「ピッピッピッーーー !」と、ヒステリックな笛の音をたてながら、ものすごい形相の駅員が、赤い旗を振り回しながらホームを駆けてくる。

 私は、()(ぜん)として私の後ろに突っ立ってこの様子を見ているいる桜井たちに向かって「オイッ !」と怒鳴ります。ハッと我に返った三人は、下田先輩の腕や首に飛びつき一気に引き入れます。さすがに四人がかりとなれば、一瞬です。

 

 恐る恐る、窓から後ろを見ると、ホームの端でだらりと垂らした赤い旗を手にした駅員が、(ぼう)(ぜん)と立ちすくんでいます。

 

 さて、窓を半分下ろし、やれやれ「007危機一髪」だったな、なんて言いながらたばこに火をつけていると、「汽笛一声新橋を」のメロディーのあとから、「ただ今、列車は定刻通り上野駅を発車し・・・。」と、車掌による各駅到着時間のアナウンスが始まりました。

 部員たちもこの騒動などすっかり忘れ、ジュースを飲んだり菓子を食ったりしながら、みな和やかに談笑しています。すると、形式通りのアナウンスが終わり、数秒の沈黙のあと、こんな声が。

 「お客様にお願い申し上げます。窓からの乗車は危険ですので、絶対におやめ下さい。」

 これには、一同大爆笑。しかし、事情が飲み込めない他の乗客たちはポカンとしています。キャプテンの(なる)(かわ)先輩(三重県出身)は「平栗、検札の時に絶対なんか言われるで。」なんて脅かします。

 私も子供の頃、校長室に呼ばれたことを思い出し「顔で笑って」心は神妙な気持ちで、仲間と談笑していました。

 ところが、程なくして私たちの車両の扉を開けて入ってきた車掌さんは、人相の悪い、坊主頭で学ラン姿の私たちを見てバカバカしくなったのか、帽子を取りペコリと頭を下げ、粛々と検札を行い、そのまま帰って行きました。

 

 この時の私の行動とは、知性でも感性でも悟性でもない。

 あの瞬間、私には恥も外聞もなかった。「仲間を置き去りにしない。」「落伍者を出さない。」「みなで一緒に行く。」なんていう感傷的で教条的なことも一切、頭にない。今なら窓から乗れるという、計算された知性によるものでもありませんでした。

 

 では、あの時の行動とは、動物的な本能のなせる技かというと、動物とは基本的に道具を利用するということをしませんから、窓を開けて、バッグを受け取り、引き入れ、後ろの仲間を叱咤して手伝わせる、なんて一連の行動は動物にはできないでしょう。

 長い説明は(はぶ)きますが、ここで発揮された「理性」とは、生まれながらに備わる理性とは少しちがうものです。

 窓から乗るなんてと、人が顔をしかめる「世間の常識」や、法律違反・危険行為であるなどという「社会通念」なんぞ気にしないという「理性」は、確かに私という人間の中に元々あるものでしたが、あの場・あの時・あのタイミングで、その理性を理性のままに迷いなく発揮できたのは「日本拳法における殴り合い」という日々の鍛錬によるものだったのだと、あれから4040年たった今日この頃、列車の窓から流れゆくホームを見るたびに思うのです。

 

(理性とは、時に法律や社会通念を無視してもかまわない、ということではありません。「悪に強ければ善にもと」と、かの河内山宗俊は言いましたが「過ぎたるは及ばざるが如し」ともいい、純粋理性を社会で発揮するとは、加減の要るものなのです。)

 

2020727

平栗雅人

 

 

  大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その1

 

 今度は、2年前に私が遭遇した事例から「日本拳法純粋理性」を考えてみましょう。

 

 

 大阪の新今宮駅近辺、西成警察署の周囲に広がる、いわゆるあいりん地区と呼ばれる一角は、日本でもっとも危険な場所のひとつといわれています。

 しかし、安全と思われていた場所で何の理由もなく殺人が行われたり、考えもつかない誘拐事件が発生するなんてことの方が。私には恐ろしく思えます。

 

 昨年、ミャンマー語の第一人者といわれる方が、朝の通勤途上、信号待ちをしているときに、彼と何の関係も無い男に後ろからナイフで刺されて即死し、その数分後、現場から100メートルくらい離れた藪の中で犯人が「自殺」していた、なんていう恐ろしい話がありました、しかも、このミャンマー語の通訳を殺した犯人の(警察経由)新聞に掲載された顔写真が、彼の高校(中学 ? )時代のものであったという、かのシャーロック・ホームズも頭をひねるような奇怪な事件でした。

 

 また、私がアメリカ滞在中聞いた、1970年代に起きた「○○商事駐在員の妻誘拐事件」も恐ろしい。

 あのニューヨークのマンハッタンで、比較的というか最も安全といわれるほど数々の有名店が立ち並ぶ五番街で、しかも日曜日の真昼間、十数名の日本人駐在員の奥様方がウインドウ・ショッピングを楽しんでいる最中、一人の若い奥様が忽然と消えてしまった。

 新婚ほやほやの旦那は、その捜査のために3ヶ月間会社を休職申請し、自分で雇った私立探偵と捜索活動をしていましたが、その二人もまた消えてしまったというのです。

 

 安心の標語や安全の掛け声とは裏腹に、否、逆に安心・安全といわれるもの(道具や組織・場所)ほど危険をはらんでいる、という警句は、かのヒッチコックの映画「舞台恐怖症」(1950年)でも言われていたことです。

 

 

 前置きが長くなりましたが、今回の「日本拳法的なる理性」の発揮は、私がこのあいりん地区のど真ん中にある、月極め安アパートに滞在していた時のことです。

 

 

 入居してはじめの一ヶ月が過ぎようとしていたころ、私はこう思っていました。

 あいりん地区というのは、昔は怖いところだったらしいが、今は老人ばかりだし、デカい監視カメラがどの交差点の上にもぶら下がっているし、あちこちにおまわりさんがうろうろしているし、今はすっかり様変わりして安全な街になっているんだな、なんて。

 

 その日も、閑静な住宅街かと錯覚するほど静かな晩でした。

 ところが、深夜1212時頃、パソコンをやっていた私は、ドンドンドンと壁をたたく音に一瞬、ドキリとしました。私の部屋の右隣には誰か住んでいるのは知っていましたが、面識はまったく無い。(安心・安全という)虚構世界から、いきなり現実に引き戻されたような気持ちで、そのままパソコンを続けていると、2・3分後、この隣人は再びドンドンドンと壁をたたき、「うるせえぞ !」と、今度は大きな声で怒鳴ってきます。

 こういうときには「反転攻勢」、売られたけんかは即買わねばならない、というのは私の経験(知性)によるものでした。

 そこで私は「文句があるなら、壁なんか叩かないで話をしに来い。」と怒鳴り返します。それに対し、壁越しに聞こえるガサゴソという音から、私は彼が部屋を出てこちらに来ることを感性と悟性によって察知します。そして「先手必勝」という知性の教えるままに、素早く自分の部屋の扉を開け、廊下に出るや、隣室のドアの前で「敵」を待ち構えます。

 

 するとその時、斜め向かいの部屋から「どないしたんや ?」なんて、のんびりとした声を出して一人のおっさんが出てきました。と、同時に隣人が勢いよくドアを開けて出てきたのですが、その両手にはデカい出刃包丁がしっかりと握られています。

 普段の私なら、その場で即、対応しているところですが、向かいのおっさんが脇にいるので立ち回りができない。この「無関係のおっさん」に怪我でもされてはまずい、という悟性と知性による判断です。

 そこで、やむなく私は、出刃包丁を握る隣人の両手を押さえながら、ずるすると後退します。

 この男、60歳くらいなのですが、建築関係の仕事(土方)でもやってきているのか、体格はがっしりして、首も腕も太く、ちょっとしたプロレスラー並みです。

 後退して、自分の部屋に倒れこんだ私の上にのしかかり、「殺したる、殺したる。」と、念仏でも唱えるようにして出刃包丁を私の顔面に押し付けてきます。

 

 ところが、このとき私は何を考えていたかといいますと「何でオレは、こんなところでインディ・ジョーンズなんかやってるんだ ?」と、心の中でつぶやいていたのです。

 刃先は目のうえ数センチのところにある,しかもオヤジは全体重をかけてくる。こんな状況の中で、むかし映画で見た「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(1984年)で、インディ・ジョーンズがその時の私と同じく、邪教集団の戦士に、今まさにナイフを顔面に突き立てられそうになりながら、奮闘する場面を思い出していたのです。

 「人はその死の瞬間、自分の人生で起きた数々の出来事を走馬灯のように思い出す」なんていわれてますが、私の場合(死にはしませんでしたが)こんなことを思っていたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

  大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その2

 

 さて、死の一歩手前というこの時、私の中の「日本拳法純粋理性」が発揮されます。それは攻撃するのではなく、逆に「待つ」ということです。

 

 仰向けになった私の右側30センチの所に、工具のプラス・ドライバーが転がっていることに、そしてそれを握り、おっさんのこめかみにぶち込めばすべてが終わることにわたしは気づいていました。しかし、私の理性は「待て」だったのです。

 

 ちなみに、この手の話というものは、時と場合によるものですから、決して定型化・公式化して再現性を求めるなんてことはできない。もし私が再び、同じ場面に遭遇したとしても、同じ選択はできないのです。

 

 ですが、あの時、私は待つというか、殺されるという恐怖と助かる手段の誘惑、その両方と闘っていた。

 それはかつて南米で、ナイフ使いの男と対峙したときに発揮された「待つ」と同じであり、日本拳法をやっていたからこそできた、理性による戦いだったのです。

 

 日本拳法をやっていなければ、恐怖に駆られてか本能的にか、おそらく私は、何も考えることなく相手を止める(殺す)ことに専念していたでしょう。しかし、そのギリギリのところで、私は待つことができた。

 おかげで私は、(正当防衛とはいえ)殺人者とならずに済んだわけですが、それは結果であって、あのときの私にとって、この数秒という長い時間こそが格闘相手でした。

 

 私の上にのしかかるオヤジが更に力を込め、出刃包丁の刃先が数センチから2センチくらいまで近づいてきたその刹那、例のギャラリーであるオッサンが「やめ、やめ」と言いながら、出刃包丁を握るオヤジを私から引き離しますが、オヤジはまだ「殺したる、殺したる。」と、大きな声でうめいています。

 しかしこの時、彼らの心を反射した私の理性は「ちょっと、おかしいぞ。」と、教えたのです。

 彼らは、(俗に言う)「三味線を弾いている」のではないか。

 つまり、二人でつるんで芝居を打っているのではないか、という疑惑が、この一瞬、心をかすめたのです。

 

 さてここからが、更なる「日本拳法純粋理性」の発揮です。

 「まあ、こういうことはやな、あした第三者を交えてゆっくり話をすればええ。」という、ギャラリーのオッサンの言葉に、私の心の鏡(理性)は素直に反射します(キッパリと言いました)。

 「第三者?」「そんなものは関係ないだろう。」「これは、オレとこの人、二人のあいだの問題だ。今この場で、とことん話をつけようじゃないか。」と。

 オッサンは、一瞬「ウッ」とうめき、困ったような顔をすると、自分の部屋へ戻っていきました。残されたオヤジはといえば、さっきの凶暴さはどこへやら、一転して神妙な面持ち・(ふう)(てい)で、うつむいています。

 

 私は彼に向かって「おい、あんた。うるさいうるさいと言うが、一体何がうるさいんだ。」と言いながら、オヤジを私の部屋に導き入れ「パソコンのキーボードの音か ?」と聞きます。オヤジはさっきまでとは打って変わった小さな声で「違う。」と言う。

 「じゃあ、トイレ(この木造アパートはシャワーは共同ですが、各部屋にトイレは付いている)の水を流す音か ?」と言うと、これも「違う。」

 「なら、トイレの扉を閉める音か ?」と言いながら、扉を勢いよく閉める。すると、これも「ノー」。

 じっさい、私のパソコンは静音キーボードだし、夜の1010時以降はトイレの水を流さない、扉の開け閉めも音を立てないようにしているので、うるさいと言われることは絶対にないはずなのです。

 

 そこで私は、「じゃあ、今度はあんたの部屋を見せてもらおうか。」とオヤジに言いながら、彼の部屋へ、勝手にずんずん入っていきます。と言っても、入り口に一畳ほどの台所(流し)のついた四畳半一間です。このとき、オヤジは出刃包丁を流しの横に置いたのですが、そこには生活の匂いというものがない。日々料理をしているような形跡がないのです。また、部屋には本棚も棚もない。テレビが一台あるだけです。そして、彼の布団は私の部屋の壁にピタリと沿って敷いてある。これだけがらんとした部屋なのに、なぜ部屋の真ん中ではなく、わざわざ私の部屋の側の壁にピタリと沿って布団が敷かれているのか。「ワトソン君、これは何を意味するのかな。」というところです。

 

 ちなみに、このあたりに住んでいる方々とは、生活保護で生活している人が圧倒的に多い。そういう人間というのは、自分で工夫して部屋を改造しようとか、毎日安くて美味くて健康的な料理を作ろうなんていう意欲がまるでない。自分で自分を楽しくしようという気力がないのです。

 ですから、彼らが自炊などすることなど、ほぼないと言っていいくらいだ。このアパートのロビーには電子レンジが置いてあるのですが、それさえも、ここの住人たちは、ほとんど使っている様子がない。

 一般のスーパーの半額で買える「玉出」というスーパーの惣菜を朝5時に行って買うくらいの気力があればまだ元気がある方なのですが、そういう人は、結局、パチンコ屋に並んで、終日、ぼんやりとギラギラ光るパチンコ台を眺めている。生活保護というのは、人を無気力にするものなのでしょうか。

 

 このオヤジの部屋も、質素とか簡素とかシンプルだとかいう以前に、貧乏でも自分の生活を楽しもうとか、ちょっと工夫して生活にリズムをつけようなんていう、前向きな気力や意欲が全く感じられない。台所にはコンロも電子レンジもヤカンもない。カップラーメンの湯でさえ、おそらく一階の共同ポットにあるお湯を使っているのでしょう。

 そんな人間が、なぜ、デカい鯖や鯛をさばくのに使う大きな出刃包丁なんぞを持っているのだろうか。知性ゼロの私でさえ、おかしいと思うのは当然です。

 

 また、これまでの約30分間、これだけ大騒ぎをしているのに、20名(室)ほどの他の住民は息を潜めて黙っていますが、これが普通なのです。私がそういう人たちの一人であったなら、深夜大声で(わめ)いている人間がいたら、絶対に部屋から出たりしないものです。しかし、あの仲裁に入ったオッサンは、なぜすぐに部屋を出てきたのか。しかも、早々に舞台へ登場しながら、なぜ私が「殺される」直前まで傍観していたのか。

 私は、今の今まで殺されかかっていた側であるにもかかわらず、「ふーん。まあ、うるさいと言うのなら、これからはオレも1010時以降は寝るようにしよう。」なんて言いながら、自分の部屋に戻ろうとします。

 

 すると、オヤジは「あんた、手から血がぎょうさん出とるで。」と私の右手を指さします。オヤジの包丁を受けた時、その刃の根元に私の右手の親指と人差し指の間の部分が当たり、あとで自分のズボンに付いた血糊から推測すると、ヤクルト一本の半分くらいの血が流れ出たのでしょう。

 血管を切ったのでなければ、血というのは、肉が切れたその瞬間、かなり勢いよく流れ出るものですが、止血なんかしなくてもすぐに止まる。むしろ、切った時には、しばらく血を出した方が良いのです。

 私は「ああ、これは大したことないよ。」言い、続けてオヤジにこう言いました。「医者に行って治療を受ければ警察に通報される。理由はどうであれ、出刃包丁で人を刺そうとしたのであれば・・・」。

 彼は黙って部屋へ戻っていきました。

 

 再びパソコンの前に座った私は、血を出し切った傷口にアルコールを吹きかけてから続きを再開し、結局、寝たのは二時半。翌日もその翌日も、一時半頃までパソコンをやっていました。もしまた、難癖をつけられたら、その時はその時と思い、自分のペースは崩さず、平常通りやっていました。

 

 一週間後、隣のオヤジは引っ越して行ったようです。斜め向かいのオッサンとは、それ以後、廊下で会うということもなく、やがて私の短いあいりん地区滞在は終わりました。

 

2020728

平栗雅人

 

 

 

  大阪あいりん地区 出刃包丁殺人未遂事件 その3

 

 このあいりん地区という所に、しばらく滞在してみようと思い立ったのは、青森短期大学教授で「伊達政宗の陰謀」を書かれた大泉光一という方の「危機管理」に関する本に刺激を受けたのが発端でした。

 それから、自分なりに危機管理→危機に強い・弱いなんていうことを考えているうち、大阪人は関東人に比べて危機に強い、という自分なりの仮説を立て、今度はそれを検証してみようという気持ちになったのでした。

 

 つまり大阪人には、たとえ学問としての危機管理能力がなかったとしても、権力者に騙され続けてきたという長い歴史のなかで、自然と身についた生活の知恵というか、彼ら大阪人というものが、関東や東北の人間に比べて「(こな)れている」からに違いない、と。じっさい、大阪人は他県の人間に比べてオレオレ詐欺の被害が非常に少ない、という警察の統計もあるのです。

 結果として、この短い大阪滞在のあいだ、私は多くの大阪人の言動から「大阪人の土性骨」を見て知ることができました。

 まあ、それはまた別の機会にするとして、今回は、この出刃包丁事件から、私の言う「日本拳法純粋理性」に話を戻します。

 

 この事件で、出刃包丁を持って襲いかかってきたオヤジを、先ず最初、物理的に止めたのは、私の肉体と気力でした。

 しかし、もしあの騒ぎが、私の推測とはいえ、あのオヤジとオッサンがつるんで仕掛けた芝居であり、しかも、あの時の私に純粋理性がなかったとしたならば、私はその翌日「第三者」なるものを交えて、「話し合い」というものに引き込まれていたでしょう。

 

 ところが、この「第三者」とか「話し合い」というのがくせ者で「安心・安全の象徴」であるはずの政府や役所でさえ、彼らが頻繁に開く第三者委員会などというものは、その裏に大きな危険や偽善が隠されているものなのです。

 2020年前、神奈川県のある町に住んでいたころ聞いた話です。

 近所の水道屋のオヤジ(社長)が、市の開催する第三者委員会なるものに毎月出席していました。他に土建屋の社長、植木屋、大学教授、会社員、専業主婦、元警察署長、等々「無作為に抽出された」市内在住の人間約1515名が、毎月一回、市役所の会議室に集まり、昼飯を食べながら、役人から市政の報告を受け、自由闊達に意見を交換する、という趣旨の会合なのだそうです。

 この水道屋も、うな重を食いながら小一時間、役人の話を聞いているだけ、しかも、足代として八千円ももらえるということで、多少仕事が忙しい時でも、欠かさず毎月出席していたそうです。

 数ヶ月の間、何ごともなく、上等のうな重と八千円、そして、もしかすると、役所の仕事をもらえるかもしれないという期待を抱きながら、幸福なお昼時を享受していた社長さんに、突如、不幸が舞い込みます。

 

 いつものように、市政の報告などうわの空と、ウナギをかき込んでいた彼は「給食のおばさんの退職金が2,500万円に決まった」という話に、思わず箸を止め、こう言ってしまったのです。「ちょっと待って下さい。人の職業を云々するわけではありませんが、いくらなんでも、給食のおばさんの退職金が2,500万円というのは、市民が納得しないのではないのでしょうか ?」と。

 

 とうぜんながら、こんな話は市民にできません。ですから、「第三者委員会」という、市民の代表である公明正大な会議でお墨付きをもらうことで、全市民の賛同を得た、ということにする。給食のおばさんの退職金が2,500万円なら、役所の一般事務員が3,500万円もらっても不思議ではない、という論理が通るようになるわけです。これがお役所的民主主義というもの。

 さて、この一言で会議室は非常に気まずい雰囲気になりました。水道屋のオヤジによると、役人たちが、しどろもどろで訳のわからない話を数分間し、結局、その場はお開き。そして一週間後、オヤジの会社には「来月からは来なくていい。」という葉書が送られてきた。そして、それ以後、なぜか会社の車が駐禁で切符を切られる回数が増えた(当時は警察官が監視していました)そうです。

 

 もちろん、私があの時、この話を思い出したわけではありません。ですが、「第三者を交えて」という言葉に、私の理性が、まるで鏡が光を反射するように反応し「これはオレたち二人の問題だ。第三者なんて、関係ないだろう。」と、即座に反撃(反応)したのです。

 

 こうも言えるでしょう。

 出刃包丁で襲われたこと自体は、日本拳法の体力で間に合う。しかし、その裏にある真の問題(関東から来たよそ者を脅してやろう ? という彼らの心)を、私に教え、その解決策を即座に実行することができたのは、日本拳法で鍛えた純粋理性のおかげであった。

  4040年前に毎日鍛えていた「自分の面突きと相手の面突きが交錯する一瞬」が、生来の理性をより純粋・鋭敏にしてくれていたのだ、と。

 

 危機管理といい、そのシステム構築、マニュアル整備といった技術的なことは、学校の講義で身につけることができるでしょう。だが、それを運用するには理性が必要となる。入れ物ばかり立派でも、運用する人間の理性(という心の鏡)が曇っていては、そのハードウェアとソフトウェア(システム)全体を生かすことはできないのですから。

 75年前、世界最強の戦艦「大和」は、連合国から「1212歳の子供」と評価された大日本帝国海軍参謀本部という、超エリートたちの知性では運用しきれなかった。

 日本人の優れた技術と血と汗の結晶である世界最高のシステムは、髪の毛一本、何の役に立つこともなく、3,000名の優秀で前途有望な若き船員たちを道連れに、わずか数時間で海の藻屑となって消えていった。現場で艦を運用する人たちではなく、作戦計画全体を掌握する大元のエリートたちによる「バカの壁」という理性なき知性のために、建造された当初から、すでに大和はそういう運命にあったといえるのかもしれません。

 

 さて、こうして見てくると、この殺人未遂事件とは、私が殺人者になることを(日本拳法による)理性が救ってくれた、とも言えるのかもしれません。

2020727

平栗雅人