「ネエちゃん、えんぺつどこや?」

  
  今年四月、大阪は西成区、通称「あいりん地区」に住み始めた私が(100円ショップで聞いて)覚えた最初の大阪弁です。ぶっきらぼうというか少々乱 暴な言葉ですが、大阪人らしい、無駄のない直感的な要件の伝え方を、これまた大阪人特有の温かみで包んだ、まさに人間が熟(こな)れた町・大阪らしさを感 じさせてくれます。


  このあいりん地区は、スラム街とか、危険・汚いという悪いイメージばかり与えられていますが、それはステレオタイプ(紋切り型・画一的)で物事の表面しか見ないマスコミ的な見方であり、日本人としてじっくり見れば、他の大阪と同じ、安全で清潔な街です。
  そして、この辺(あた)り一帯は大阪でも指折りの好立地と環境にある。Google Mapで見ると、北は難波、東は新世界や天王寺に近く、JR・南海・地下鉄・路面電車等の各駅まで歩いて数分、高速道路の入り口まで車で五分。昔ながらの 風情漂う商店街が幾筋もあり、スーパー、各種小売店、懐かしい喫茶店や甘味処、個性豊かな沢山の銭湯、更に日本の大衆文化を守り続ける演芸場が四つもあ る。つまり、仕事(金)・生活(物)・日本文化(精神的ゆとり)と、日本人として気持ちよく生きるための環境が三拍子揃っているのです。


 東京育 ちの私から見て、大阪という町自体が、東京のような人工的で歪(いびつ)な町と異なり、極めて人間的で住みやすい、人に優しい町なのですが、そのなかでも この「あいりん地区周辺」とは、現代的な利便性と昔ながらの日本文化がうまく調和した、長い歴史を持つ大阪ならではともいえる、日本人らしいセンスと情感 のある街なのです。

 いまこの街が、大きな危機へ向かって流されている。
 三国人(韓国人や台湾人客家)たちが、一つまた一つと、この街のあちこちで、店や個人の土地を、時に奸計によって手に入れ、そこに彼らの先兵隊である「美しき歌姫」たちが送り込まれ、囲碁のように、少しずつ日本人住民の囲い込みと追い出しが進んでいる。
  彼女たちが家族を持ち、よそ者ではなく住人として発言権を持つようになると、やがて「路上生活者は子供に危険」「小学校で従軍慰安婦について教えろ」なん て訴えが警察や役所に届く。公務員というのは、平安時代の貴族と同じで、錦(にしき)の御(み)旗(はた)(大義名分)を口実に日本の伝統文化や習慣を簡 単に破壊するからたまらない。(大阪市職員入れ墨事件)


  この「オレオレ詐欺」よりも根深く、日本人の将来に関わる危機に対し、行政や警察は全くの無力であり、では、一体誰が今、この危機的状況を必死に食い止め ようとしているのかといえば、事実は小説よりも奇なり、(それなりの事情があるとはいえ)善良なる日本国民が忌み嫌う「ヤクザ」なのである。紳士淑女の皆 さんは「まあ、この人ったら、あの恐ろしいヤクザを礼賛して警察を役立たずなんて」と、顔をしかめるかもしれません。
  しかし、現実の世界はテレビや漫画のような作り物とは違う。警察とは公務員である以上、税金さえ払ってもらえれば、住民が誰であろうとかまわない。また、 義理や人情で行動するのではなく、あくまで道具として機能する。日本の国家元首、東京や大阪の首長といった飼い主が、三国人を含む外国人優先の言動を取る 現状、警察という忠実な番犬の能力は、むしろ異邦人保護のために発揮される宿命にあるのです。 

2018年5月25日

平栗雅人

 

 

 

「はい、こちらです。」
 店員はそのお客を連れて、「文具」という大きな看板の掛かったコーナーへ案内する。
  こういう場合、私たち関東人であれば、「なんだ、こんなわかりやすい所にあるのに連れてきてもらい、申し訳ない」という気持ちで「ありがとうございます」 とか、「わざわざ、どうも」と頭を下げる。 店員もまた、口には出さなくとも「いいえ、とんでもありません。ごゆっくりご覧ください」という気持ちを込め て、無言で頭を下げる。
 この「ありがとう」「どういたしまして」という二人の動作に込められた心と心の一致に、私のような武道を行なっていた者は、日本人の美意識、文化を感じるのです。

 ところが、大阪人の場合は、そうではない。
 このおっさんは、目の前に整然と、いかにも鉛筆はここですよ、というようにして、整然と、存在感をもって並んだ鉛筆たちを前にして、こう蛮(ばん)声(せい)を張り上げるのです。
「なんや、こんな所にあったんか。もっと、わかりやすい所に置かんかい。」
 すると、この女性は「こんだけ目立つ所に置いてあれば、誰でもわかるやろ。どこに目ぇつけとるんじゃ、ボケ」なんて気持ちを少しも見せることなく、即座に「へぇ、すんまへん」と言って、ぺこりと頭を下げる。

 私は、まるで歌舞伎の名場面を見ているように、あるいは、京都の禅寺で行なわれる茶会の席で、嘘っぽい世俗的な人間関係によって凝り固まった心が解きほぐされるような気持ちで、この二人の味わい深いやり取りに感心していました。
 さすが、2000年間、日本の中心として、渡来する外国人たちと日常生活の中で静かなる戦いを経験してきた大阪人。客は自分の間抜けさを逆手にとって、相手を攻撃する。店員は店員で、こんなアホ相手にしても時間の無駄、とばかりに「心から謝罪する」。
  彼らは、こういうロールプレイング(即興の芝居)的な鍛錬によって、毎日のように繰り広げられる在日との心の葛藤に対し、免疫力をつけているのです。
 
  宗主国である中国からは「越南(えつなん)(今のベトナム・ミャンマー)などよりも貢ぎ物が少ない」と馬鹿にされて「朝鮮(貢ぎ物が少ない・生産能力がな い国の意味)」と命名され、モンゴル人からは、朝鮮には女ぐらいしかものがない、と言われて、4千名の女性を献上させられた国。日本に対しても、平安・鎌 倉・江戸時代を通じ、中国への牽制のために、毎年多くの女性を進んで京都の貴族に献上してきた。


 にもかかわらず、先の大戦でアメリカが日本に勝 つと、その獅子の威光を借りて開き直る。2000年間、大国に搾取されるばかりで、文盲率が80パーセント、国中に乞食があふれていた国であったのに、明 治から始まった日本の統治によって、学校が建てられ、線路が引かれ、ダムや道路が作られて、ようやく人間並になることができた国。

 まさに、「日本に足を向 けて寝ることができない」くらい恩のある日本人に対し、苛められただの、従軍慰安婦だのと難癖をつけてくるところは、まさに「100円ショップのおっさ ん」。
 私は、こんな「アホ」にあきれながらも、そんな素振りを微(み)塵(じん)も見せず、謙虚に応対する(適当にあしらう)大阪人に、外国人に対して経験不足の私たち歴史の浅い関東人が、個人の日常レベルの「危機管理」として、学ぶべきものを見たような気がするのです。




作成日: 2018年5月29日(火) 11時54分