カントと武蔵と日本拳法 はじめに V 1.3   2019年04月04日

 日本拳法を楽しむために
はじめに
 学生時代、あまりに難解ゆえ本屋の立ち読みで諦めたカントの「純粋理性批判」。
 現代における「Think Tank」の元となった「ドイツ参謀本部」を理解するには「カント」を知らねばならない。そう感じて今回あらためて読み直してみると、これがなかなか面白い。(現代のシンクタンクとは、単なる「知識の寄せ集め」であり、本来の「ドイツ参謀本部」とはまるで次元が違うのですが。そのちがいが「カント」にあるのです。)

 学者ではないので、カントの著作を一言一句完全に理解しているわけではないが、「論語読みの論語知らず(いくら良い本を読んでも、それが実際の生活に生かせなければ意味がない)」ということもある。デジタル的に字面を追う(理解できる・できない)という読み方ではなく、「カント」の本質に接近するというか、彼の心に自分の心をどこまで近づけることができるかという、アナログ的アプローチが大切なのではないか。

 そういうスタンス(場)でカントに向かい合い、間合いを詰めてみると、彼の求めた「純粋理性」とは、私の知る範囲での禅や宮本武蔵の「五輪書」そして日本拳法と、目指すところはまったく同じであるということに気がついた。


 自分のルーツ探し、しかも生理学的な血ではなく「魂の血」、自分の精神的な本質を見極めるためのアプローチとして「カント」があり、禅があり、武蔵の兵法(「五輪書」)、そして日本拳法なのだと。
 こうなると、しょぼい(パッとしない)禅も、400年前の特別な人間だけがやっていた剣による殺し合いの世界で生まれた「五輪書」なる書も、俄然面白くなってくる。
 何もかもソフト(柔らか)で楽しくなければ一般受けしない現代、テニスやサッカーのようなゲーム・娯楽感覚で楽しめるスポーツと異なり、現実に殴る・蹴る・投げるという乱暴な競技である、あの日本拳法も、武蔵が追求した天理、カントの唱えた純粋理性に至る道となり得るのです。
(武蔵がいう天理とは、宗教のそれとは違います。)

2019年04月05日

平栗雅人

 

カントと武蔵と日本拳法 カントの求めた純粋理性とは

 カントの求めた純粋理性とは
カントの求めた純粋理性とは、以下のことと同じなのです。

○「父母未生以前の自分とはなにか」
 これは、1800あるといわれる禅(臨済宗)における公案(悟りを得るための道標:みちしるべ)の内の一つです。
 禅とは自分のルーツ(根源)探しの旅です。
 それは、DNAがどうのこうのという話ではなく、自分の人間としての本性、精神的な本質、究極の魂を、自分の内に自分自身で哲学することで見つけていこうという壮大な旅。その為のツールが坐禅であり、アプローチの仕方としての禅による生活というものなのです。
 カントは、坐禅ではなく哲学というアプローチによって、自分の内にある純粋理性を徹底的に追求することで、禅で言う「本来の自分」「本来の面目」「父母未詳以前の自分」に行き着こうとしたのです。


○「若以色見我 以音聲求我  是人行邪道 不能見如來」(金剛経)
 このお経全部を口に出して読むと約45分かかりますが、このお経の最大の肝はこの20字にあります。
 人間の本質を見よ。これこそカントの言う「純粋理性」のことです。
 目に見える姿形・耳に聞こえる音や声・手に触れる冷たさや温もり。そういう生理学や物理学・数学や化学(の世界)を超越した、しかし、それら自然科学以上に確かな精神世界・形而上における確固たる存在感を知る。これがカントの追求した「純粋理性」であり金剛経に云う「如来」なのです。


○「天理をはなれざる故に、60数度の真剣勝負(殺し合い)に勝ち抜くことができた」

「五輪書」で武蔵が述べた勝利の秘訣こそが「天理」であり、この男は、常に天理から離れなかったからこそ、60数回の真剣勝負に無敗であり、人生全般においてもブレない生き方ができた、と。岩波文庫「五輪書」P.10

 そして、この天理こそ、カントの言う純粋理性であり、武蔵は(天理を)剣の戦いのみならず生活全般において鍛え、カントは哲学という道によって純粋理性を追求した。
 カントの追求・鍛錬の仕方が「批判哲学」という手法であったのです。
 その意味で、この本の題名は「禅と武蔵とカントと日本拳法」になるのですが、語呂が悪いので「カントと武蔵と日本拳法」にしたのです。
 禅は改めて別の本で批判(カント的に検討するという意味)しましょう。

 
○日本拳法の面突きの一瞬
 この一瞬を知る者は、頭でも思考でもなく、身体と精神(魂)でカントの純粋理性を経験しているといえるのです。

 こう見てくれば、超難解といわれ私の思考などとは何億光年も離れていたかに見えたカントがグッと近く見えてくる。「カントちゃん、あんたの心はよくわかるぜ」なんて親近感が湧いてくるのです。

 

2019年04月05日

平栗雅人